一緒に、睾丸をふり出して検査を受け、一緒に薄暗い兵営に這入って赤飯を食った。一緒に銃の狙い方を習った。剣の着け方を習い、射撃のしかたを習った。その工藤が、御用船の中で片づけられていた。何故、片づけられたか、それは云わなくッても分っている! 甘いしるこがすきな男だった。眼は火のような男だった。それが殺されてしまった!
それは、兵士たちの血を狂暴なものにせずにはいなかった。壁のざらざらした、屋根がひくい、息づまる寄宿舎で、彼等は思い/\の考えにふけった。
高取の横には、内ポケットまでさぐられて、ビラを見つけられ、重藤中尉に、頬がちぎれるほど殴りとばされた那須がいた。
那須は何も云わず黙っていた。
「いくら、ビラを取りあげて、やかましく云ったって、俺等の脳味噌まで引きずり出す訳には行かねえんだぞ!」
誰かゞ、云った。
「それはそうだ!」と、那須は黙って考えた。
「俺れが何を考えようが、何をやろうが、それゃ、俺の勝手だ!」
藤のようなアカシヤの花が匂っていた。その近くで柿本は、小母の一家がどうしているか、それを気にかけていた。
消息をたしかめるひまもなかった。
遠い血縁のはしッくれでも、海を一つ渡って、内地を離れると、非常に近しい親か兄弟のように感じられる。
彼は、居留民保護の名で、盲腸炎の小母を見舞に帰るひまもなくせき立てられて、あわたゞしく、こゝまでやって来た。
しかし、彼とは最もちかしい、市街《まち》の方々に散らばって、細々と暮しを立てゝいる人々や、血縁のつながっている人間を、直接、保護することも、行って見ることも出来なかった。
彼は工場を保護していた。
そのために、汗みどろになって働いた。
汗みどろになって守備作業をつゞけた。
工場の附近は、土塁や、拒馬や、鉄条網で、がんじがらめにかためられていた。実弾をこめた銃を持ち、剣をさげて、彼等は、そこを守った。
それ以外の場所には、守備工事は施《ほどこ》されなかった。柿本は、折角、兵士としてやってきながら、この土塁や、拒馬にかこまれた区域からは、離れることが出来なかった。
居留民は、この守備区域内へやって来いというのだ。
そして、この区域内で保護を受けろというのだ。
では、何のために、彼は、この支那までやってきたのだろう?……
「おい、おい、ここのマッチは、軸木さえありゃ、板をこすっても、石をこすっても火が出るんだよ。」作業場へはいっていた三人が、珍らしげに黄色い、小さい函のマッチを一ツずつ持って帰ってきた。松岡と、本岡と、玉田だ。
三人は、柱や、床板をこすって、火をつけた。
「これゃ、内地のマッチとは異うよ。」
「俺等、子供の時に、ちょっと、そんなマッチを見たことがあるような気がするがな。ボスって云うんだ。」
と那須が沈んだ顔をしていた。
「これ黄燐マッチ、――と、そこの支那人が云っているんだよ。ちょっと、日本語の片ことが云えるんだ。」製麺工場の、まだ、ウドン粉くさい玉田が云った。「――これ、大いに毒ある。外国の工場作らせない。私ら、身体、すぐ悪くなる。この薬、悪い、大いに毒ある、悪い、こいつは、……この黄燐マッチは、有毒だし、すぐ火事を起すから、どこの国でも禁止しているんだよ。それを、ここじゃ作っているんだ。」
「これ、大いに毒ある。人、死ぬる。」と玉田は、支那人の言葉の真似をつゞけた。「鉄道もない、劇薬もない、田舎、これ、自殺にのむ。男と、女、夫婦、喧嘩をする。※[#「女+息」、第4水準2−5−70]婦《シーフ》(妻)死にたくなる、これ、この軸木のさきの薬、けずり取ってのむ。この函に十函ぶんのむ。死ぬる。日本、ネコイラズ、中国黄燐マッチ……」
「ふむむ、……それだけ日本語が分りゃ、話が出来るじゃないか。」高取があたりかまわぬ声を出した。
「その支那人を、ここへつれてこんか、話してやろうぜ。面白いじゃないか。」
一九
昼につゞく夜の勤務があった。
夜につゞく昼の勤務があった。ねるひまもない。
兵士達は、汗と垢でドロドロになった。水がない。あっても、極《ご》く僅かしかない。濁って、生《なま》でのめるようなしろものじゃなかった。のんだら、胃と腸が、雷のように鳴り出すだろう。
彼らは長いこと入浴しなかった。七日間、いや、もう十五日以上。
内地を出発する前日に、炊事場の隣の入浴場で、汗とホコリを流した。それきりだ。
窓のない、支那風の暗い寄宿舎には、男ばかりのくさい息がこもった。連日の勤務、不自由と、過労と、苦るしみによって、工場は守られている。それからひいて、この物資の豊かな山東地方をブルジョアジーは、わが物に確保しようとたくらんでいる。兵士たちは、内地で、自分を搾取するブルジョアジーの利益のために、支那へ来ても、苛《
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