命よりも、金の方が大事なんだ。金をくれさえすりゃ、頸でもやるんだ。彼の考え方はこれだった。
五人の代表者は、引きあげた。二棟の寄宿舎は、険悪なけしきに満ちた。そこではまた、会議が始められた。
工人は、不逞《ふてい》なむほんをたくらみ(小山の言葉をそのまま用うれば)にかゝった。宿舎からは、工人の金属的な、激昂した声が、やかましく事務所の方へもれて行った。
「何を、がい/\騒いどるんじゃ?」
様子をさぐりにやった社宅のボーイが戻ると、小山は、ボーイまでが癪に障ってたまらないものゝように、呶鳴った。
「賃銀、呉れないなら、呉れない、いゝと云います。」八年間、日本人に使われて、日本語が喋れる劉《リュウ》は、自分が悪いことをしたようにおど/\した。
「それで、どうしゅるだい?」
「それで、呉れない。――呉れない、工人、考えあると云います。」工人達は暴力によって工場を占領し、管理しようと計画していた。製品を売って、月給は、その中から取る。日本人は門から叩き出してしまう。支那人のくせに日本人をかばう巡警は叩き殺して呉れる!
「馬鹿をぬかしゅな!」
小山は呶鳴りつけた。劉は、びく/\した。
「なまけて、何もしゅくさらんとて、工場から飯を食わしゅてやっとるんだ。――嬶や、親が、かつえるなんて、あいつら、生大根でも、人参の尻ッポでもかじっとりゃいいんじゃないか! 乞食のような生活をしゅとるくせに、威張りやがって!」
賃銀を渡せば工人は逃げる心配があった。そして、あとに、熟練工の代りはない。
手下をなだめるためには、喋れるだけの言葉を喋りつくした把頭《バトウ》の李蘭圃《リランプ》は引きあげて来た。
「これゃ、どうしても駄目です。どうしたって手のつけようがありません。」と李は云った。「半分だけでも、払うてやっていたゞくんですな。そうでもしないと、収拾のしようがありません。奴等も、この頃は、時節柄現金でなけりゃ、何一つ買うことも出来ねえそうですから。」
「畜生! 貴様も、奴等と、ぐるになっとるんだろう。」
「小山さん、誤解せられちゃ困ります。」李はいそいで遮った。「誤解せられちゃ困ります!」
「しやがれ! しやがれ!」と、小山は呶鳴った。
「生意気なことをぬかしゅと承知がならんぞ! しやがれ!」
彼は壁にかけられた拳銃を頼もしげにかえり見た。
支配人は、どんなことになっても仕様がない、と決心した。いざとなれば武器に頼るばかりだ。社宅の女房や子供達は晩の十一時すぎに、あわてゝ、自動車でKS倶楽部へぬけ出した。
工人達は、本能的に団結した。暴動に移るけはいは多分に加わった。
街は、南軍の侵入と、掠奪、破壊ばかりでない。北軍がこゝを棄てゝ退却する行きがけの駄賃に、どんなひどいことをやるかわからない。
平生から、掠奪、強姦を仕事のようにやっていた彼等である。今度こそ、あとは、シリ喰え観音だ。思う存分なことをやらかして行くだろう。
外国人は、たまに自分の国の人間の顔を見ると、それだけに心強いような気持になった。
彼等は、国と言葉を同じゅうしている関係から、この騒乱の中にあって、どんな困難にむかっても、どんな襲撃にむかっても、自分達は力を合して、堪えて行かなければならない。彼等は同胞というセンティメンタルな封建的な感情に誘惑された。「あゝ、早く、あの、カーキ色の軍服を着た兵隊さんが来て呉れるといゝんだがなア!」とひとしくそれを希《ねが》った。彼等は単純に、軍隊が何のために、又、誰のために、やって来るかは考えなかった。軍隊がやって来さえすれば、自分達を窮境から救い出して呉れると思っていた。
下旬になった。
軍隊は到着しだした。
汗と革具の匂いをプンとさしていた。一人だけ離れ島に取り残されたように心細くなっていた居留民は、なつかしさをかくすことが出来なかった。なによりも、内地から来たての、訛《なまり》のある日本語がなつかしかった。
二十六日、未明に、ある一ツの聯隊は、駅に着いた。
深い霧がかゝっていた。
濃厚な朱や青に塗りこくられた支那家屋、ほこりをかむったさま/″\の、ずらりと並んだ露天店、トンキョウな声で叫んでいる支那人、それらのものは、闇と霧にさえぎられて見分けられなかった。悩ましげに春を刺戟する、アカシヤの花が霧を通して、そこらの空気に、くん/\と匂っている。
兵士達は、駅前の広場で叉銃《さじゅう》して背嚢をおろした。営舎がきめられるのを待った。彼等は、既に、内地にいる時よりも、言葉も、行動も、気性自身が、荒ッぽく殺気立っていた。
「宇吉ツぁん。」
無数の小さい日の丸の旗を持って、出迎えている、人々の中から一人の女が、ふいに一等卒の柿本の前にとび出した。中年の歯を黒く染めた女だった。彼女は、柿本の腰にすがりついて、わッ
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