走ってしまった。前にのろ/\と行く者は、押しのけて走った。一郎はどうなったか忘れてしまっていた。
 KS倶楽部へは、あとから、あとからといくらでも避難者が押しよせて来た。いつのまにこういう大動乱になってしまったか? 彼女達は不思議に思った。彼女の家が市街戦のきッかけとなった。それは知らなかった。悪いのは南兵だ。そう思わせられた。多くの人々も、勿論、そう思っていた。いつでも事件のきッかけは中津のような反動のゴロツキが必要に応じて作っているのだ。そういうことは勿論知らなかった。
 遠いところや、或は近くで、大砲や銃声が断れ/″\に、又、つゞいて響いていた。大砲が発射されるごとに、硝子窓は、ビリビリッと震動した。頭をめちゃ/\に斬られた人が這入ってきた。何時間かが過ぎた。
 男の者が外に出て米をといだ。
 飯が出来ると、その男たちは、自分の知っている者や、女郎ばかりに飯を配って、向うの方の人々は、腹いっぱいに食べていた。が、知り合いでない者には一杯もあたらなかった。すゞと俊とは自分達がのけ者にされてしまったような淋しい感情に満された。兄がいれば、飯を食べさして貰えるだろう。ふとすゞは、そんなことを思った。紅い着物の娼婦達は、もう沢山というのに、なおも一ツずつの握り飯を強いられていた。
 ようよう、向うの人々の食った残りの飯が、櫃《ひつ》の底にちょっぴりまわって来た。一段下の別扱いをされたような腹立たしさがした。しかし、それを食い逃がしたら、又、いつ飯を食べられるかわからない。
 みんな、我れさきに、その飯をよごれた手に掴んで取りがちをした。それは悲惨ながき[#「がき」に傍点]のような有様だった。
 夕方、人々は、S銀行の宿舎へ、移れという命令をうけた。ここでは防ぎきれないからだ、と云う。
 すゞは、俊の手を、しっかりと握りしめた。弾丸があたらないように壁に添うて大通りへ出た。いつもはにぎやかな大通りが、がらんとして、犬の子一匹も通っていなかった。時々、銃声がぱッぱッぱときこえた。
「あれ見なさい! あれ……南軍め、沢山やられとる。」
 子供をおぶって、走せて行く、鬚の男が、馳せながら、郵便管理局の構内を指さした。
「何だろう?」
 すゞはちらっと、指さゝれた方へ顔を向けた。
 鉄条網を引っぱった柵の中に、武装解除をされた紺鼠の中山服の兵士達が、両手を後に縛られて、獣のよう
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