っぽけな家とはかけ離れた、工場や銀行の守備に赴くのを、はたして、ペテンにひっかゝったように、憤《いきどお》ろしく、意外に感じなかっただろうか?

     一六

 三時間の後、工場は、堅固な土嚢塁と、鉄条網と、拒馬《きょば》によって、武装されてしまった。
 機関銃が据えつけられた。カーキ服が番をしている。
 黄色の軽はく[#「はく」に傍点]土は、ポカ/\と掘り起された。
 大陸のかくしゃく[#「かくしゃく」に傍点]たる太陽は、市街をも、人間をも、工場をも、すべてを高くから一目でじり/\睨みつけていた。細い、土ほこりが立つ。火事場の暑さだ。
 上衣を取った兵士の襦袢は、油汗が背に地図を画いた。土ほこりはその上に黄黒くたまった。じゃり/\する。
「のろくさと、営所に居るように油を取ってはいけない! これは正真正銘の戦時だぞ。」重藤中尉が六角になった眼をじろじろさしてまわった。「おい、そこで腰骨をのばして居るんは誰だッ!」
 一方で掘りかえされる黄土は、他の兵士達の手によって、麻袋《マアタイ》に、つめられる。
 兵士は顔を洗うひまもなかった。頑丈な、蟇《がま》のような靴をぬいで、むせる[#「むせる」に傍点]足を空気にあてるひまもなかった。部署につくと同時に作業は初まった。
 黄土にふくらんだ、麻袋は、工場の前へ、はこばれる。一ツ一ツ積み重ねられる。見るまに土嚢塁が出来上ってしまった。五分間の休憩もなかった。
 別の一隊は、どこからか徴発して来た丸太を打ちこんで、土嚢塁の外側へ、四重に鉄条網を張りめぐらした。
 街路には、もっと太い丸太を組み合して、拒馬を作った。鉄条網は、工場の周囲から、遠くの街路に添い、街路を横切ってのびて行く、S銀行には、丸い、瓦斯タンクのような歩哨の土嚢塁が築かれた。
 製粉工場も、福隆火柴公司も、土嚢塁と鉄条網と、武装した兵士によって護衛された。
 支配人の内川は、中隊長や、中隊附将校にお上手を使った。営々として作業をつゞける兵士たちの方にもやって来た。作業の邪魔をしながら、軍隊でなければならんと思っている、その意思を兵士達に伝えようと骨折った。
 次は、周囲の範囲を拡大した区域の守備工事だ。土嚢は作るそばから、塀のように、又、別の箇所へ積み重ねられる。いくら作っても足りない。警戒巡視に出る人員がきめられる。歩哨がきめられる。当番卒がきめられる。
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