と泣き出した。……「宇吉ツぁん! よう来てくれたのう、宇吉ツぁん!……」
「中ン条のおばさんじゃないか?」ちょっと一等卒は上官をはゞかって当惑げな顔をした。が、やがて云った。
「お、お、お……」その女は、嬉しさと、感激がこみ上げてくるものゝように声をあげて泣いた。「……お前さんが来て呉れたんか。……お、お、お……これで私《わつ》ッしらも助かろうわい。お、お、お……」
この感情は、露わに表現しないにしろ、迎えに出揃った居留民達のどの胸にも、浸潤しているところのものだった。
兵士達が焚き火を始めた。その焔が、ぱッと燃え上った。柿本は、自分の膝に崩折れかゝったこの婦人の蒼ざめて、憔悴した、骨ばった顔を見た。やはり、同村の、見覚えのある、顔の輪郭だけは残っていた。このおばさんがどれだけ恐怖と、心労に、やつれきっているか。彼は昔の、村に於ける顔を思い起しながら考えた。この婦人は、彼からは、従姉の又、又の従姉にあたった。年は、おばさんと呼んでいゝだけ違っていた。村では、殆んど親戚のうちに這入らないような親戚だ。しかし、こゝでは、彼も、このおばさんに、近々しい肉親に対するようなケチくさい感情が湧いて来た。
婦人の方では、彼を、もっと、それ以上に感じていた。
「どうじゃろう、私等は別条ないんだろうか?」と、女はきいた。
「大丈夫だ。俺等の師団が、一箇師団やって来るんだ。これこんなに弾薬も持たされとるし、(彼はずっしりした弾薬盒をゆすぶって見せた。)剣は、切れるように、刃がついとんだ。」
「お、お、お……」
婦人はまた声をあげて、嬉しさとなつかしさをかくそうとせずに泣いた。
兵士達には部署がきめられた。部隊は別れ別れになった。一部は、蛋粉《たんぷん》工場へ向けられた。一部は福隆火柴公司《フールンホサイコンス》へ向けられた。一部は正金銀行へ向けられた。
銃をかつぎ、列伍を組んで、彼等はそれぞれ部隊長に指揮されながら、自分の部署へむかって行進した。
多くの居留民達は、自分達の家とは反対の方向へ列をなして去って行く軍隊を、なつかしげに、いつまでも立って見送っていた。子供達は嬉しげに旗を振りながら、あとにつゞいた。
だが、おとな[#「おとな」に傍点]の居留民達は、出兵請求の決議にかけずりまわり、一ツ一ツ印を集め、懇願書を出して、折角やってきて貰ったなつかしい兵士が、自分達のち
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