ちた古い柴の葉と、萌え出づる新しい栗や、樫や、蝋燭のような松の芽が、醋《す》く、苦く、ぷん/\かおる。朝は、みがかれた銀のようだ。そして、すき通っている。
 そこでは、雉も山鳥も鶯も亢奮せずにはいられない。雉は、秋や夏とは違う一種特別な鳴き方をする。鶯は「谷渡り」を始める。それは、各々雄が雌を叫び求める声だ。人間も、そこでは、自然と、山の刺戟に血が全身の血管に躍るのだった。
 虹吉は――僕の兄だ――そこで女を追っかけまわしていた。僕が、まだ七ツか八ツの頃である。そこで兄は、さきの妻のトシエと、笹の刈株で足に踏抜きをこしらえ、臑《すね》をすりむきなどして、ざれついたり、甘い喧嘩をしたり、蕨《わらび》をつむ競争をしたりしていた。
 トシエは、ひょっと、何かの拍子に身体にふれると、顔だけでなく、かくれた、どこの部分でも、きめの細かいつるつるした女だった。髪も、眉も、黒く濃い。唇は紅をつけたように赤かった。耳が白くて恰好がよかった。眼は鈴のように丸く、張りがあった。たゞ一つ欠点は、顔の真中を通っている鼻が、さきをなゝめにツン切られたように天を向いていることだ。――それも贔屓目《ひいきめ》に見れ
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