二
おきのは、自分から、子供を受験にやったとは、一と言も喋《しゃべ》らなかった。併し、息子の出発した翌日、既に、道辻で出会った村の人々はみなそれを知っていた。
最初、
「まあ、えら者にしようと思うて学校へやるんじゃぁろう。」と、他人から云われると、おきのは、肩身が広いような気がした。嬉しくもあった。
「あんた、あれが行《い》たんを他人《ひと》に云うたん?」と、彼女は、昼飯の時に、源作に訊ねた。
「いゝや。俺は何も云いやせんぜ。」と源作はむし/\した調子で答えた。
「そう。……けど、早や皆な知って了うとら。」
「ふむ。」と、源作は考えこんだ。
源作は、十六歳で父親に死なれ、それ以後一本立ちで働きこみ、四段歩ばかりの畠と、二千円ほどの金とを作り出していた。彼は、五十歳になっていた。若い時分には、二三万円の金をためる意気込みで、喰い物も、ろくに食わずに働き通した。併し、彼は最善を尽して、よう/\二千円たまったが、それ以上はどうしても積りそうになかった。そしてもう彼は人生の下り坂をよほどすぎて、精力も衰え働けなくなって来たのを自ら感じていた。十六からこちらへの経験によると、
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