皆がひまをつぶして損だ。じっとおとなしくしとりゃえゝんだ。」
 彼は儲けた金を家へすぐ送る必要がなかったので、醤油屋へそのまゝ、利子を取って貸したりしていた。悪くするとそれをかえして貰えない。宇一は、そんなことにまで気をまわしているのであった。
 それを知っている健二はなおむか/\した。
「おい、お主等どうだい?」
 ふと煤煙にすゝけた格子窓のさきから、聞覚えのある声がした。
「おや、君等もやられたんか!」窓際にいた留吉は、障子の破れからのぞいて、びっくりして叫んだ。
 そこには、他の醤油屋で働いていた同村の連中が、やはり信玄袋をかついで六七人立っていた。彼等も同様に、賃銀を貰わずに、追い出されたのであった。

     三

 ある朝、町からの往還をすぐ眼下に見おろす郷社の杜へ見張りに忍びこんでいた二人の若者が、息を切らし乍《なが》ら馳せ帰って来た。
「やって来るぞ! 気をつけろ!」
 暫らくたつと、三人の洋服を着た執達吏が何か話し合いながら、村へ這入って来た。彼等は豚小屋に封印をつけて、豚を柵から出して、百姓が勝手に売買することを許さなくするためにやって来たのである。
 百姓達は、それに対して若者が知らして帰ると共に、一勢に豚を小屋から野に放つことに申合せていた。
 健二は、慌てゝ柵を外して、十頭ばかりを小屋の外へ追い出した。中には、外に出るのを恐れて、柵の隅にうずくまっているやつがあった。そういうやつには、彼は一と鞭を呉れてやった。すると、鈍感なセメント樽のような動物は割れるような呻きを発して、そこらにある水桶を倒して馳せ出た。腹の大きい牝豚は仲間の呻きに鼻を動かしながら起き上って、出口までやって来た。柵を開けてやると、彼女は大きな腹を地上に引きずりながら低く呻いてのろのろ外へ出た。
 裏の崖の上から丘の谷間の様子を見ていた留吉が、
「おい、皆目、追い出す者はないが、……宇一の奴、ほんとに裏切りやがったぞ!」
 と、小屋の中の健二に呼びかけた。
「まだ二十匹も出ていないが……。」
「ええ!」健二は自分の豚を出すのを急いだ。
「佐平にも、源六にも、勘兵衛にも出さんが、おい出て見ろ!」留吉はつゞけて形勢が悪いことを知らせた。「これじゃ駄目だ!」
 少くともこういうことは、皆が一勢にやらなければ成功すべきものではない。少数ではやった者がひどいめにあうばかりだ。それだのに村の半数は出していないらしい。
 健二は急いで小屋の外へ出て見た。丘から谷間にかけて、四五匹の豚が、急に広々とした野良へ出たのを喜んで、土や、雑草を蹴って跳ねまわっているばかりだ。
「これじゃいかん!」
「宇一め、裏切りやがったんだ!」留吉は歯切りをした。「畜生! 仕様のない奴だ。」
 今、ぐず/\している訳には行かなかった。執達吏は、もう取っ着きの小屋へ這入りかけていた。健二と留吉とは夢中になって、丘の細道を家ごみの方へ馳せ降りて行った。
 三人の執達吏のうち、一人は、痩せて歩くのも苦しそうな爺さんだった。他の二人はきれいな髭を生《はや》した、疳癪で、威張りたがるような男だった。
 彼等が最初に這入った小屋には、豚は柵の中に入ったまゝだった。彼等は一寸話を中止して、豚小屋の悪臭に鼻をそむけた。
 それまで、汚れた床板の上に寝ころんで物憂そうにしていた豚が、彼等の靴音にびっくりして急に跳ね上った。そして荒々しく床板を蹴りながら柵のところへやって来た。
 豚の鼻さきが一寸あたると柵はがた/\くずれるように倒れてしまった。すると豚は柵の倒れた音で二重に驚いて、なおひどくとび上った。そうしてその拍子にとび/\しながら柵から外へ出た。三人の、大切な洋服を着た男は、糞に汚れた豚に僻易して二三歩あとすざりした。豚は彼等が通らせて呉れるのをいゝことにして外へ出てしまった。
 一匹が跳ね、騒ぎだしたのにつれて、小屋中の豚が悉く、それぞれ呻き騒ぎだした。そうして、柵を突き倒しては、役人の間を走りぬけて外へ出た。きれいな髭の男は、やっと、この豚どもを逃がしてはならないことに気づいて、あとから白い手を振り上げて追っかけた。追っかけられると、豚はなお向うへ馳せ逃げた。
「チェッ! 仕様がない。」洋服の男は、これは百姓に入れさせればいゝつもりで、苦々しい笑いを浮べ乍ら次の小屋へやって行った。
 二軒目の小屋には一頭もいず、がらあきだった。彼等は何気なく三軒目へ這入った。そこにも、十個ばかりの柵が、がらあきでたゞ仔豚をかゝえた牝が一匹横たわっているばかりだった。そこで、二十分ばかりかゝって、初めての封印をして、彼等は外に出た。ところが、その時には、丘にも谷間にも豚群が呻き騒いで、剛《かた》い鼻さきで土を掘りかえしたり、無鉄砲に馳せまわったりしていた。豚は一見無神経で、すぐにも池か溝かに落ち
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