短命長命
黒島傳治
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)[#地から1字上げ]─小豆島にて─
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ある薄ら曇りの日、ぶらぶら隣村へ歩いた。その村に生田春月の詩碑がある。途中でふとその詩碑のところへ行ってみる気になって海岸の道路を左へそれ、細道を曲り村の墓地のある丘へあがって行った。
墓地の下の小高いところに海に面して詩碑が建っている。生田花世氏がここへ来て、あんたはよいところでお死にになったと夫の遺骸に対して云ったと、私が詩碑の傍に立って西の方へ遠く突き出ている新緑の岬や、福部島や、近海航路の汽船が通っている海に見入っていると、丘の畑へ軽子を背負ってあがって行く話ずきらしい女が云ってきかした。よいところというのは、たぶんこのあたりの風景のよさをさして云ったのだろう。
この南東を海に面して定期船の寄港地となっている村の風物雰囲気は、最近壺井栄氏の「暦」「風車」などにさながらにかかれているところであるが、瀬戸内海のうちの同じ島でも、私の村はそのうちの更に内海と称せられる湖水のような湾のなかにあるので、そこから丘を一つ越えてここへ来るとやや広々とした海と、その向うの讃岐阿波の連山へ見晴しがきいて、又ちがった趣がある。
私は詩碑の背面に刻みこまれている加藤武雄氏の碑文を見直した。それは昭和十一年建てられた当時、墨の色もはっきりと読取られたものであるが、軟かい石の性質のためか僅か五年の間に墨は風雨に洗い落され、碑石は風化して左肩からはすかいに亀裂がいり、刻みこまれた字は読み難いほど石がところどころ削げ落ちている。自分などよりは文学の上でも年齢の上でもかなり先輩だと思っていた春月が三十九歳で、現在の私の年齢より若くて死んでいるのを碑文を見て不思議なような気持で眺め直した。生前の春月を直接知っていたのではない。その詩や、ハイネ、ゲーテの訳詩に感心したのでもない。が、その編纂した泰西名詩訳集は私の若い頃何べんも繰りかえしてよんだ書物であった。
春月と同年の生れで春月より三年早く死んだ芥川龍之介は、、私くらいの年恰好の者には文学の上でも年齢の上でもはるかに高いところにあると思われていた。今でもその感じはなお多分に残っているだろう。が、文学の上ではともかく、年齢的には、そういう感じを持っている者が、既に芥
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