頭さんが書きとめたけんど、これ二反はあとから借ってつけとらんの。……」
「何だって?」
「この二反も、一と口ことわっとかにゃ悪いと思うて、待ちよったけれど、客が仰山《ぎょうさん》居って旦那も番頭も私なんどにゃ見向いても呉れんせに、黙って借って来たん……。」彼女は弁解するようにつゞけた。
「それでどうするんだ?」
「……」
「向うに知らんとて、黙って取りこむ訳にはいかんぜ。」
お里は何か他のことを二言三言云った。その態度がひどくきまり悪るそうだった。清吉は、自分が云いすぎて悪いことをしたような気がした。
お里は、善良な単純な女だった。悪智恵をかっても、彼女の方から逃げだしてしまうほどだった。その代り、妻が小心で正直すぎるために、清吉は、他人《ひと》から損をかけられたり儲けられる時に、儲けそこなって歯痒《はが》ゆく思ったりすることがたび/\あった。
彼は二十歳前後には、人間は正直で、清廉であらねばならないと思っていた。が今では、そんなものは、何も役に立たないことを知っていた。正直や清廉では現在食って行くことも出来ないのを強く感じていた。けれでも彼は妻に不正をすゝめる気持にはなれなかっ
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