隣家を外から伺うと、人声一つせず、ひっそりと静まりかえっていた。たゞ、鶏がコツ/\餌を拾っているばかりだ。すべてがいつもと変っていなかった。でも彼は、反物が気にかゝって落ちつけなかった。
 彼は家のぐるりを一周して納屋へ這入って見た。四ツに畳んできっちり重ねてあった蓆がばらばらにされていた。空俵はもと置いてあった所から二三尺横に動いていた。
「こりゃ、この下に一度かくして、また取り出したんだな。」彼はこんなところへ気をまわした。「こんなところはなお人が注意するからだな。」
 寒気で、肌がぞく/\した。彼は屋内に這入って寝床に這入ろうとした。すると敷布団が不自然に持ち上っているのを見た。
「こんなところに置いちゃいかん! すぐばれてしまうじゃないか。これをかくしておくことが肝腎《かんじん》なんじゃ。」
 彼は部屋の中を見まわした。どこへかくしたものかな。――壁の外側に取りつけた戸袋に、二枚の戸を閉めると丁度いゝだけの隙《すき》があった。そこへ敷布団から例のものを出して、二寸ほどの隙間に手をつまらせないように、ものさしで押しこんだ。戸袋の奥へ突きあたるまで深く押しこんだ。
「これで一と安心!」一瞬間、こんなことを感じた。
 彼は、たしかに神経衰弱にかゝっていた。寝床に横たわると、十年くらいの年月が、急に飛び去ってしまえばいゝ、というようなことを希った。何もかも忘れてしまいたかった。反物を盗んで来た妻のことが気にかゝって仕方がなかった。これまで完全だった妻に、疵《きず》がついたようで、それが心にわだかまって仕方がなかった。
 彼は、現在、自分が正直ばかりでは生きて行かれないことを知っていた。彼は食うものを作りながら、誰れかに甘《うま》い汁を吸われているのだった。呉服屋も、その甘い汁を吸っている者の一人である。だから、こちらからも復讐してやっていゝのだ。彼は常にからそういう考えは持っていた。でも、彼は、妻が呉服屋に対して悪いことをすると、それにこだわらずにはいられなかった。

      六

 お里は、畑から帰るとあの反物が気にかゝるらしく、風呂敷包を開けて見た。
「あらッ!」彼女には風呂敷包に包んだ反物が動いているように思われた。「あの二反が無い!」
 彼女は、そこらあたりに出ていないか見まわした。布団を入れる押入れや、棚や、箪笥の抽斗《ひきだし》を探してみた。けれ
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