小麦俵を積重ねた間にかくして、与助は一と息ついているところだった。まさか、見つけられてはいない、彼はそう思っていた。だがどうも事がそれに関連しているらしいので不安になった。彼は困惑した色を浮べた。彼は、もと百姓に生れついたのだが、近年百姓では食って行けなかった。以前一町ほどの小作をしていたが、それはやめて、田は地主へ返えしてしまった。そして、親譲りの二反歩ほどの畠に、妻が一人で野菜物や麦を作っていた。
「俺《お》らあ、嚊《かゝあ》がまた子供を産んで寝よるし、暇を出されちゃ、困るんじゃがのう。」彼は悄《しょ》げて哀願的になった。
「早や三人目かい。」杜氏は冷かすような口調だった。
「はア。」
「いつ出来たんだ?」
「今日で丁度《ちょうど》、ヒイ[#「ヒイ」に傍点]があくんよの。」
「ふむ。」
「嚊の産にゃ銭《ぜに》が要るし、今一文無しで仕事にはぐれたら、俺ら、困るんじゃ。それに正月は来よるし、……ひとつお前さんからもう一遍、親方に頼んでみておくれんか。」
杜氏はいや/\ながら主人のところへ行ってみた。主人の云い分は前と同じことだった。
「やっぱり仕様がないわい。」杜氏は帰って来て云った。
「その代り貸越しになっとる二十円は棒引きにして貰うように骨折ってやったぜ。」杜氏は、自分が骨折りもしないのに、ひとかど与助の味方になっているかのようにそう云った。
与助は、一層、困惑したような顔をした。
「われにも覚えがあるこっちゃろうがい!」
杜氏は無遠慮に云った。
与助は、急に胸をわく/\さした。暫らくたって、彼は
「あの、やめるんじゃったら毎月の積金は、戻して貰えるんじゃろうのう?」と云った。
「さあ、それゃどうか分らんぞ。」
「すまんけど、お前から戻して呉れるように話しておくれんか。」
「一寸、待っちょれ!」
杜氏はまた主屋《おもや》の方へ行った。ところが、今度は、なかなか帰って来なかった。障子の破れから寒い風が砂を吹きこんできた。ひどい西風だった。南の鉄格子の窓に映っている弱い日かげが冬至に近いことを思わせた。彼は、正月の餅米をどうしたものか、と考えた。
「どうも話の都合が悪いんじゃ。」やっと帰ってきた杜氏は気の毒そうに云った。
「はあ。」
「貯金の規約がこういうことになっとるんじゃ。」と、杜氏は主人が保管している謄写版刷りの通帳を与助の前につき出した。その規約に
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