の寒気と氷の夜の風景が、はっきりと窓に映ってきた。
河を乗り起してやってくる馬橇が見えた。警戒兵としての経験からくるある直感で、ワーシカは、すぐ、労働組合の労働者ではなく、密輸入者の橇であると神経に感じた。銃をとると、彼は扉を押して、戸外へ躍《おど》りでた。扉が開いたその瞬間に、刺すような寒気が、小屋の中へ突き入ってきた。シーシコフもつづいて立ちあがった。
「止れ! 誰れだ?」
支那人は、抑圧《よくあつ》せられ、駆逐《くちく》せられてなお、余喘《よぜん》を保っている資本主義的分子や、富農や意識の高まらない女たちをめがけて、贅沢品を持ちこんでくるのだ。一足の絹の靴下に五ルーブルから、八ルーブルの金を取って帰って行く。そして国境外では、サヴエート同盟に物資が欠乏していると、でたらめを飛ばした。
一方では、飲酒反対、宗教反対のピオニールのデモを見習った対岸の黒河の支那の少年たちが、同様のデモをやったりするのに、他方どうしても、こちらの、すきを伺っては、穀物のぬすみ喰いにたかってくる雀のように、密輸入と、ルーブル紙幣の密輸出を企《くわだ》てる支那人があるのを、ワーシカはいまいましく思った。
「止れ! 誰れだ!」
防寒帽で、すっかり、耳から鼻までかくしてしまった橇の上の男は、声で警戒兵が出てきたことを知るより先に、眼で危険を見て取った。
「止れ! 止らなけゃ打つぞ!」
ワーシカは氷を踏んで進んだ。シーシコフは彼につづいていた。彼らと橇の距離はもう六七間になった。一人が馭者台で鞭を持ち、二人が、その後に坐っていた。馬は二頭だ。橇はちょっと止ったように見えた。と、馭者台から舌打ちがして、馬はくるりと反対にまわってしまった。鞭が、はげしく馬の尻をしばく音がした。
「逃げるな!」
ワーシカは、すぐ折敷をして、銃をかまえた。命令をきかず、逃げだす奴は打ってもいいことになっているのだ。
何か、橇の上から支那語の罵《ののし》る声がきこえた。ワーシカは引鉄を引いた。手ごたえがあった。ウーンと唸る声がした。同時に橇は、飛ぶような速力を出した。つづいて、シーシコフが発射した。
銃の響きは、凍った闇に吸いこまれるように消えて行った。
「畜生! 逃がしちゃった!」
三
戸外で蒙古《もうこ》馬が嘶《いなな》いた。
馭者の呉はなだめるような声をかけて馬を止めた。
ぶる
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