結氷が星空の下に光っていた。
 番小屋は、舟着場から、約一露里(約九丁)上流にあって建てられていた。夏は、対岸から、踵《かかと》の高い女の白靴や、桜色に光沢を放っている、すき通るような薄い絹の靴下や、竹の骨を割った日傘が、舟で内密で持ちこまれてくる。ここは、流れが最も緩慢であった。そして、対岸の河岸が、三十メートル突きだして、ゆるく曲線を描いている関係から、舟は、流れの中へ放りだせば、ひとりでに流れに押されて、こちらの河岸へ吸いつけられるようにやってくる。地理的関係がめぐまれていた。支那人は、警戒兵が寝静まったころを見はからって、その自然を利用した。
 かつては、この地点から、多くの酒精が、持ちこまれてきた。ウオッカの製造が禁じられていた、時代である。支那人は、錻力《ブリキ》で特別に作らせた、コルセット様の、ぴったりと人間の胴体に合う中が空洞となった容器に、酒精を満し、身肌につけて、上から服を着、何食わぬ顔で河岸からあがってきた。酒精に水をまぜて、火酒として売りつけた。資本主義時代から、飲んだくれることが労働者的であるように思いこんでいるルンペンを酒に酔わしてしまった。酒のために、困難な闘争を忘れさせた。そして、ゼーヤから掘りだしてきた砂金を代りにポケットへしのばして、また、河を渡り、国外へ持ち去った。
 今は酒は珍らしくはない。国内で作られている。
 今は、五カ年計劃の実行に忙がしかった。能率増進に、職場と職場が競争した。贅沢品《ぜいたくひん》や、化粧品をこしらえているひまはなかった。そんなものをかえりみているどころではなかった。
 寒気が裂けるように、みしみし軋《きし》る音がした。
 ペーチカへ、白樺の薪《まき》を放りこんだワーシカは、窓の傍によって聴き耳を立てた。二重硝子を透して遠くに、対岸の黒河の屋根が重い支那家屋の家なみが、黒く見えた。すべてがかたまりついた雪と氷ばかりだ。部分部分が白く、きらきらと光っていた。
 また、きしきしという軋りが聞えて、氷上蹄鉄《ひょうじょうていてつ》を打ちつけられた馬が、氷を蹴る音がした。
「来ているぞ。また、来ているぞ」
 ワーシカは、二重硝子の窓に眼をよりつけるようにして、外をうかがった。「偉大なる転換の一年」を読んでいたシーシコフは、頭を上げて、スヰッチをひねった。電灯が消えた。番小屋は真暗になった。と、その反対に、外界
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