が、サヴエート同盟の土を踏むことをなつかしがりながら、大きな露西亜《ロシア》式の防寒靴をはいて街の倶楽部《クラブ》へ押しかけて行った。
 十一月七日、一月二十一日には、労働者たちは、河を渡ってやって行く。三月八日には女たちがやって行く。
「僕、日本人、行ってもいいですか?」
「よろしい」
 その日本人は、二十歳を過ぎたばかりだった。モスクワへ行きたい希望を抑《おさ》えることができなかった。黒河に住んで一年になる。いつか、ブラゴウエシチェンスクにも、顔見知りが多くなっていた。
 黒竜江にはところどころ結氷を破って、底から上ってくる河水を溜《た》め、荷馬車を引く、咽頭《のど》が乾いた馬に水をのませるのを商売とする支那人が現れた。いくら渇《かわき》を覚えても、氷塊を破って馬に喰わせるわけには行かない。支那人は一回、銅片一文を取って馬に水を飲ませるのだ。水が凍らないように、長い棒でしょっちゅう水面をばしゃばしゃかきまぜ、叩いていた。白鬚《しらひげ》まじりの鬚に氷柱をさがらした老人だった。
 税関吏と、国境警戒兵は、そのころになると、毎年、一番骨が折れた。一番油断がならなかった。黒河からやってくる者たちは、何物も持たず、何物をも求めず、ただプロレタリアートの国の集団農場や、突撃隊の活動や、青年労働者のデモを見たいがためにやってくる。そういう風に見える。しかし、なかには、大褂児の下に絹の靴下を、二三十足もかくしていた。帽子の下に天子印の、四五間さきの空気をくんくんさせる高価な化粧品をしのばせていた。そして、彼らが市街のいずれかへ消えて行って、今夜ひっかえしてくる時には、靴下や化粧品のかわりに、ルーブル紙幣を、衣服の下にかくしている。そんな奴があった。

     二

 北方の国境の冬は、夜が来るのが早かった。
 にょきにょきと屋根が尖《とが》った、ブラゴウエシチェンスクの市街は、三時半にもう、デモンストレーションのような電灯の光芒《こうぼう》に包まれていた。
 郊外には闇が迫ってきた。
 厚さ三尺ないし八尺、黒竜江の氷は、なおその上に厚さを加えようとして、ワチワチ音を立て、底から表面へ瘤《こぶ》のようにもれ上ってきた。警戒兵は、番小屋の中で、どこから聞えてくるともない、無慈悲《むじひ》な寒冷の音を聞いた。
 二重硝子の窓の外には、きつきつたる肌ざわりの荒い岩のような、黒竜江の
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