ぶる身慄いして、馬は、背の馬具を揺すぶった。今さっき出かけたばかりの橇《そり》がひっかえしてきたらしい。
 外から頼むように扉を叩く。ボーイが飛んで行った。鍵をはずした。
 きゅうにドカドカと騒がしい音がして、二人の支那人が支那服を着た田川を両方から助け肩にすがらしてはいってきた。
「大人、露西亜《ロシア》人にやられただ」
 支那人の呉清輝は、部屋の入口の天鵞絨《びろうど》のカーテンのかげから罪を犯した常習犯のように下卑《げび》た顔を深沢にむけてのぞかした。深沢は、二人の支那人の肩のあいだにぶらさがって顔をしかめている田川を睨《にら》めつけた。
「何、貴様が、ボンヤリしているんだ! 今どき夏じゃあるまいし、警戒兵の網にひっかかるなんて、わざわざ小屋のある方を選って馬の頭をむけて行ったんだろう?」
「このごろ、大人、川凍ったばかりで道がない。まるで、山の岩のよう。夜、なお行きにくい」
「嘘言え、横着をしてもっと上流の方を廻らんからだ」
「大人、行ったことがない。どんなにあぶないか、どんなに行きにくいか知らない。何もしない者、何も知らない」
 危険をくぐってやる仕事にかけては、俺の方がうわ手だ。ということを言いたげに呉は、安楽椅子に、ポンと落ちこんでチューインガムをしがんでいる深沢をチラと見て、にたにたと笑った。
「そうだ。何もしない者、何も知らないそうだ」
 田川は唸く声の間から、とぎれとぎれに繰りかえした。弾丸のあたった腰は、火がついたように疼《うず》きほてついていた。
「チッ! しようがないね。貴様ら、呉と郭と二人で、それじゃ夜明に出かけろ、今度はうまくやらないと荷物を没収されちゃ、怺《こら》えせんぞ!」
「ああで」
 荷物を積んだ橇は、門から厩《うまや》の脇にひっぱりこまれた。橇の毛布には、田川の血が落ちて、凍りついていた。支那人はボール箱の荷物をおろすと、脂ぎった手で無神経にその毛布をめくり上げた。相変らず、おかしげににやにや独《ひと》りで笑っていた。
「イーイーイイイ!」という掛声とともに、別の橇が勢いよく駈けこんできた。手綱が引かれて馬が止ると同時に防寒帽子の毛を霜だらけにした若いずんぐりした支那人がとびおりた。ひと仕事すまして帰ってきたのだ。
「どうしたい?」
 毛布を丸めている呉清輝にきいた。
「田川がうたれただよ」と呉は朗らかに笑った。「時にゃうたれ
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