人間との関係である。郷里以外の地で見聞きし、接触した人と人との関係や性格よりも、郷里で見るそれの方が、私には、より深い、細かい陰影までが会得されるような気がする。
 が、それと共に、自然の風物もいまでは、痛く私の心を引く。絶対安静の病床で一カ月も米杉の板を張った天井ばかりを眺めて暮した後、やっと起きて坐れるようになって、窓から小高い山の新芽がのびた松や団栗《どんぐり》や、段々畑の唐黍《とうきび》の青い葉を見るとそれが恐しく美しく見える。雨にぬれた弁天島という島や、黒みかゝった海や、去年の暴風にこわれた波止場や、そこに一艘つないである和船や、発動機船会社の貯油倉庫を私は、窓からいつまでもあきずに眺めたりする。波止場近くの草ッ原の雑草は、一カ月見ないうちに、病人の顎ひげのように長く伸び乱れているのである。
 やがて歩けるようになると私は杖をついて海岸伝いの道をあるいてみる。歩ける嬉しさ、坐れる嬉しさ、自然に接しられる嬉しさは、そのいずれも叶わぬ不自由な境涯に落ちて一そうはっきりと私に分るようになった。もう今では崖の下の海で、晴れ間を見て子供たちが海水浴を始めている。海の中へつき出た巌の上に立っている宿屋では、夏の客をむかえるとて、ボートをおろしている。
 この島は周囲三十里余の島だが、そこに四国八十八カ所になぞらえた島四国八十八カ所の霊場がある。山の洞窟や、部落のなかや、原に八十八の寺や、庵があるのである。
 毎年二月半ばから四月五月にかけて但馬《たじま》、美作《みまさか》、備前、讃岐《さぬき》あたりから多くの遍路がくる。菅笠をかむり、杖をつき、お札《ふだ》ばさみを頸から前にかけ、リンを鳴らして、南無大師遍照金剛を口ずさみながら霊場から霊場をめぐりあるく。
 この島四国めぐりは、霊験あらたかであると云い伝えられている。
 苦行をしてめぐっているうちに盲目の眼があいたり、いざり[#「いざり」に傍点]の脚が立ったり、業病がなおったりした者があると云われている。悪いことをした者は途中で脚がすくんであるけなくなると云われる。罰(これをバチとよむ)があたるのである。あるときいざりがめぐっていたのを、うしろから下駄で蹴とばした者があった。すると忽ちいざりの脚が立って、蹴とばした者の脚が立たなくなってへたばりこんでしまったという。即ちバチが、それこそテキ面だったのである。またあるとき
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