、指先で、窓《まど》硝子《ガラス》をコツコツ叩いた。肺臓まで凍りつきそうな寒い風が吹きぬけて行った。彼は、その軒の下で暫らく佇《たたず》んでいた。
「ガーリヤ!」
 そして、また、硝子を叩いた。
「何?」
 女が硝子窓の向うから顔を見せた。唇の間に白い歯がのぞいている。それがひどく愛嬌《あいきょう》を持っている。
「這入ってもいい?」
「それ何?」
「パンだ。あげるよ。」
 女は、新聞紙に包んだものを窓から受取ると、すぐ硝子戸を閉めた。
「おい、もっと開けといてくれんか。」
「……室《へや》が冷えるからだめ。――一度開けると薪三本分損するの。」
 彼女は、桜色の皮膚を持っていた。笑いかけると、左右の頬に、子供のような笑窪が出来た。彼女は悪い女ではなかった。だが、自分に出来ることをして金を取らねばならなかった。親も、弟も食うことに困っているのだ。子供を持っている姉は、夫に吸わせる煙草を貰いに来た。
 松木は、パンを持って来た。砂糖を持って来た。それから、五円六十銭の俸給で何かを買って持って来た。
 でも、彼女の一家の生活を支えるには、あまりに金を持っていなすぎる。もっとよけいに俸給を取っ
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