おい!」
 彼は呼んでみた。
 軍服が、どす黒い血に染った。
 坂本はただ、「うう」と唸るばかりだった。
 内地を出発して、ウラジオストックへ着き、上陸した。その時から、既に危険は皆の身に迫っていたのであった。
 機関車は薪を焚《た》いていた。
 彼等は四百里ほど奥へ乗りこんで行った。時々列車からおりて、鉄砲で打ち合いをやった。そして、また列車にかえって、飯を焚いた。薪が燻《くすぶ》った。冬だった。機関車は薪がつきて、しょっちゅう動かなくなった。彼は二カ月間顔を洗わなかった。向うへ着いた時には、まるで黒ン坊だった。息が出来ぬくらいの寒さだった。そして流行感冒がはやっていた。兵営の上には、向うの飛行機が飛んでいた。街には到るところ、赤旗が流れていた。
 そこでどうしたか。結局、こっちの条件が悪く、負けそうだったので、持って帰れぬ什器《じゅうき》を焼いて退却した。赤旗が退路を遮った。で、戦争をした。そして、また退却をつづけた。赤旗は流行感冒のように、到るところに伝播《でんぱ》していた。また戦争だ。それからどうしたか?……
 雪解の沼のような泥濘《でいねい》の中に寝て、戦争をしたこともあっ
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