あります。」
「仕様がない奴だ。大きな河があって、河の向うに、樅《もみ》の林がある。そういうところは見つからんか、そこへ出りゃ、すぐイイシへ行けるんだ。」
「はい。」
「露助にやかましく云って案内さして見ろ!」
 中隊長は歩きながら、腹立たしげに、がみがみ云った。「場合によっては銃剣をさしつけてもかまわん。あいつが、パルチザンと策応して、わざと道を迷わしとるのかもしれん。それをよく監視せにゃいかんぞ!」
「はい。」
 松木は、若《も》し交代さして貰えるかと、ひそかにそんなことをあてにして、暫らく中隊長の傍を並んで歩いていた。
 彼は蒼くなって居た。身体中の筋肉が、ぶちのめされるように疲れている。頭がぼんやりして耳が鳴る。
 だが、中隊長は、彼を休ませようとはしなかった。
「おい行くんだ。もっとよく探して見ろ!」
 ふらふら歩いていた松木は、疲れた老馬が鞭《むち》のために、最後の力を搾るように、また、銃を引きずって、向うへ馳《は》せ出《だ》した。
「おい、松木!」中隊長は呼び止めた。「道を探すだけでなしに、パルチザンがいやしないか、家があるか、鉄道が見えるか、よく気をつけてやるんだぞ。」
「はい。」
 斥候は、やがて、丘を登って、それから向うの谷かげに消えてしまった。そこには武石と、道案内のスメターニンとが彼を待っていた。
 松木と武石とは、朝、本隊を出発して以来つづけて斥候に出されているのであった。
 中隊長は、不機嫌に、二人に怒声をあびせかけた。
「中隊がイイシ守備に行かなけりゃならんのは誰れのためだと思うんだ! お前等、二人が脱柵《だっさく》して女のところで遊びよったせいじゃないか!」彼は、心から怒っているような眼で二人をにらみつけた。「中隊長は、皆んなを危険なところへは曝《さら》しとうない。中隊が可愛いいんだ。それを、危険なところへ行かなけりゃならんようにしたのは、貴様等二人だぞ! 軍人にあるまじきことだ!」
 そして二人は骨の折れる、危険な勤務につかせられた。
 松木と武石とは、雪の深い道を中隊から十町ばかりさきに出て歩いた。そして見た状勢を、馳《か》け足《あし》で、うしろへ引っかえして報告した。報告がすむと、また前に出て行くことを命じられた。雪は深く、そしてまぶしかった。二人は常に、前方と左右とに眼を配って行かなければならなかった。報告に、息せき息せき引っかえすたびに、中隊長は、不満げに、腹立たしそうな声で何か欠点を見つけてどなりつけた。
 雪の上に腰を落して休んでいた武石は、
「まだ交代さしてくれんのか。」ときいた。
「ああ。」松木の声にも元気がなかった。
「弱ったなア――俺れゃ、もうそこで凍《こご》え死んでしまう方がましだ!」
 武石は泣き出しそうに吐息をついた。
 二人は、スメターニンと共に、また歩きだした。丘を下ると、浅い谷があった。それから、緩慢な登りになっていた。それを行くと、左手には、けわしい山があった。右には、雪の曠野《こうや》が遥か遠くへ展開している。
 山へ登ってみよう、とスメターニンが云いだした。山から見下せば地理がはっきり分るかもしれなかった。それには、しかし、中隊が麓《ふもと》へ到着するまでに登って、様子を見て、おりてきなければならなかった。そうしなければ、また中隊長がやかましく云うのだ。
 山のひだは、一層、雪が深かった。松木と武石とは、銃を杖にしてよじ登った。そこには熊の趾跡《あしあと》があった。それから、小さい、何か分らぬ野獣の趾跡が到るところに印されていた。蓬《よもぎ》が雪に蔽《おお》われていた。灌木《かんぼく》の株に靴が引っかかった。二人は、熱病のように頭がふらふらした。何もかも取りはずして、雪の上に倒れて休みたかった。
 山は頂上で、次の山に連っていた。そしてそれから、また次の山が、丁度、珠数《じゅず》のように遠くへ続いていた。
 遠く彼方の地平線まで白い雪ばかりだ。スメターニンはやはり見当がつかなかった。
 中隊は、丘の上を蟻のように遅々としてやって来ていた。それは、広い、はてしのない雪の曠野で、実に、二三匹の蟻にも比すべき微々たるものであった。
「どっちへでもいい、ええかげんで連れてって呉れよ。」二人はやけになった。
「あんまり追いたてるから、なお分らなくなっちまったんだ。」
 スメターニンは、毛皮の帽子をぬいで額の汗を拭いた。

   九

 薄く、そして白い夕暮が、曠野全体を蔽い迫ってきた。
 どちらへ行けばいいのか!
 疲れて、雪の中に倒れ、そのまま凍死してしまう者があるのを松木はたびたび聞いていた。
 疲労と空腹は、寒さに対する抵抗力を奪い去ってしまうものだ。
 一個中隊すべての者が雪の中で凍死する、そんなことがあるものだろうか? あってもいいものだろうか?
 少佐の
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