る者が、何者かにびっくりしたもののようにパチパチうちだした。
小屋の中に誰もかくれていないことがたしかめられた。一列に散らばっていた兵士達は遠くから小屋をめがけて集って来た。
小屋には、つい、二三時間前まで人間が住んでいた痕跡が残っていた。檐《のき》の鶏小屋には餌が木箱に残され、それがひっくりかえって横になっていた。扉《ドア》は閉め切ってあった。屋内はひっそりして、薄気味悪く、中にはなにも見えなかった。
兵士は扉の前に来て、もしや、潜伏している者の抵抗を受けやしないか、再びそれを疑った。彼等は躊躇《ちゅうちょ》して立止った。誰れかさきに扉を開けて這入って行きさえすれば、あとは、すぐ、皆ながおじけずになだれこんで行ける。が、その皮切りをやる者がなかった。
「栗本、貴様行け。」
煙草を吸っていた吉川をとがめた軍曹が云った。
栗本は、なにか反感のようなものを感じながら、
「うむ、行くか!」
そう云って、立ちふさがっている者達を押しのけて扉の前へ近づいた。「大きななりをして、胆力のないやつばかりだ。」そこらにいる者をさげすむように、腹の中で呟《つぶや》いた。彼の腰は据《すわ》ってきた。
扉の中は暗かった。そこには、獣油や、南京袋の臭《にお》いのような毛唐の体臭が残っていた。栗本は、強く、扉《ドア》を突きのけて這入って行った。
「やっぱし、まっさきに露助を突っからかしただけあるよ。」
うしろの方で誰れかが囁《ささや》いた。栗本は自分が銃剣でロシア人を突きさしたことを軽蔑していると、感じた。
「人を殺すんがなに珍しいんだ! 俺等は、二年間×××の方法を教えこまれて、人を殺しにやって来てるんじゃないか!」
反感をなお強めながら、彼は、小屋の床をドシンドシン踏みならした。剣をつけた銃を振りまわした拍子に、テーブルの上の置ランプが倒れた。床板の上で、硝子《ガラス》のこわれるすさまじい音がした。
扉の前に立っていた兵士達は、入口がこわれる程、やたらに押し合いへし合いしながら一時になだれこんできた。
彼等は、戸棚や、テーブルや、ベッドなどを引っくりかえして、部屋の隅々まで探索した。彼等は、そこにある珍らしいものや、値打のありそうなものを、×××××××××××××××ろうとした。
既に掠奪《りゃくだつ》の経験をなめている百姓は、引き上げる時、金目になるものや、必要な品々を持てるだけ持って逃げていた。百姓は、鶏をも、二本の脚を一ツにくくって、バタバタ羽ばたきするやつを馬の鞍につけて走り去った。だが産んだばかりの卵は持って行く余裕がなかったと見えて、巣箱に卵がころがっていた。兵士は、見つけると、ばい取りがちをし乍《なが》ら慌《あわ》てて残されたその卵をポケットに拾いこんだ。
三
山の麓のさびれた高い鐘楼《しょうろう》と教会堂の下に麓から谷間へかけて、五六十戸ばかりの家が所々群がり、また時には、二三戸だけとびはなれて散在していた。これがユフカ村だった。村が静かに、平和に息づいていた。
兵士達は、ようよう村に這入る手前の丘にまでやって来た。
彼等はうち方をやめて、いつでも攻撃に移り得る用意をして、姿勢を低く草かげに散らばった。
「ここの奴等は、だいぶいいものを持っていそうだぞ。」
永井は、村なりを見て掠奪心を刺戟された。彼は、ここでもロシアの女を引っかけることが出来る――それを考えていた。
「おい、いくら露助だって、生きてゆかなきゃならんのだぜ。いいものばかりをかっぱらわれてたまるものか!」
栗本の声は不機嫌にとげ立っていた。
「なあに、××が許してることはやらなけりゃ損だよ。」
珍しい、金目になるものを奪い取り、慾情の饉《う》えを満すことが出来る、そういう期待は何よりも兵士達を勇敢にする。彼等は、常に慾情に飢え、金のない、かつかつの生活を送っていた。だから、自分に欠けているものがほしくてたまらなかった。そこの消息を見抜いている×××は、表面やかましく云いながら、実は大目に見のがした。五十銭銀貨を一つ盗んでも禁固を喰う。償勤兵とならなければならない。それが内地に於ける軍人である。軍人は清廉潔白でなければならない。ところが、その約束が、ここでは解放されているのだ。兵士は、その××に引っかかって、ほしいものが得たさに勇敢に、捨身になるのだった。
「前島、その耳輪を俺によこしとけよ。」
兵士は命令を待っている間に、今さっき百姓小屋で取ってきた獲物を、今度はお互いに、口でだまして奪い合った。
「いやですよ、軍曹殿。」
「俺のナイフと交換しようか。」
ほかの声が云った。
「いやだよ。そんなもの十銭の値打もすりゃせんじゃないか。」
「馬鹿! 片ッ方だけの耳輪にどれだけの値打があるんだ!」
斜丘の中ほどに壊《こ
前へ
次へ
全9ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング