チチハルまで
黒島伝治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)抛《ほう》って

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)四※[#「さんずい+兆」、第3水準1−86−67]線
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       一

 十一月に入ると、北満は、大地が凍結を始める。
 占領した支那家屋が臨時の営舎だった。毛皮の防寒胴着をきてもまだ、刺すような寒気が肌を襲う。
 一等兵、和田の属する中隊は、二週間前、四平街を出発した。四※[#「さんずい+兆」、第3水準1−86−67]線で※[#「さんずい+兆」、第3水準1−86−67]南に着き、それからなお二百キロ北方に進んだ。
 兵士達は、執拗な虱の繁殖になやまされだした。
「ロシヤが馬占山の尻押しをしとるというのは本当かな?」もう二十日も風呂に這入らない彼等は、早く後方に引きあげる時が来るのを希いながら、上からきいた噂をした。
「ウソだ。」
 労働組合に居ったというので二等兵からちっとも昇級しない江原は即座にそれを否定した。
「でも、大砲や、弾薬を供給してるんじゃないんか?」
「それゃ、全然作りことだ。」
「そうかしら?」
 大興駅附近の丘陵や、塹壕には砲弾に見舞われた支那兵が、無数に野獣に喰い荒された肉塊のように散乱していた。和田たちの中隊は、そこを占領した。支那兵は生前、金にも食物にも被服にもめぐまれなかった有様を、栄養不良の皮膚と、ちぎれた、ボロボロの中山服に残して横たわっていた。それを見ると和田は何故とも知れず、ぞくッ[#「ぞくッ」に傍点]とした。
 一度退却した馬占山の黒龍江軍は、再び逆襲を試みるために、弾薬や砲を整え、兵力を集中していた。ロシアは、それを後援している。
「支那人朝鮮人」共産軍がブラゴウェチェンスクから増援隊として出動した。そういう噂が、各中隊にもっぱらとなって来た。
「――相手は、支那兵だけではないんである。皆は、決して、油断をしてはいけない! いいか!」
 鯖ヒゲの中隊長が注意を繰かえした。
 前線から帰ってくる将校斥候はロシヤ人や、ロシアの大砲を見てきたような話をした。
「本当かしら?」
 和田達多くの者は、麻酔にかかったように、半信半疑になった。
「ロシヤが、武器を供給したんだって? 黒龍江軍
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