しい脆弱な京一は仕事の上で留吉と比較にならなかった。
 京一は、第一、醸造場のいろいろな器具の名前を皆目知らなかった。槽《ふね》を使う(諸味《もろみ》を醤油袋に入れて搾《しぼ》り槽《ぶね》で搾ること)時に諸味を汲む桃桶を持って来いと云われて見当違いな溜桶《ためおけ》をさげて来て皆なに笑われたりした。馴れない仕事のために、肩や腰が痛んだり、手足が棒のようになったりした。始終、耳がじいんと鳴り、頭が変にもや/\した。
 タバコ(休憩時間のこと)には耳鳴りは一層ひどくなった。他の労働者達は焚き火にあたりながら冗談を云ったり、悪戯《いたずら》をしたりして、笑いころげていたが、京一だけは彼等の群から離れて、埃や、醤油粕の腐れなどを積上げた片隅でボンヤリ時間を過した。そのあたりからは、植物性の物質が腐敗して発する吐き出したいような臭気が立ち上ってきた。最初、彼は、堪えられなかったものだが、日を経るうちに、馴れてきて、さほどに感じなくなった。それに従って、彼の身体には、知らず知らず醤油の臭いがしみこんできているのだった。
「あ、臭い! われ(お前の意)が戻ると醤油臭い。」
 たまに、家へ帰ると祖母は
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