の風琴を鳴らす老人――。痩せた五十ぐらいの、ボロマントを着てゐる。彼はいつも区役所通りの下総屋の前の電柱の根ッこにあぐらをかいてゐた。そして古風琴の蛇腹を伸ばしたり、縮めたりしながら、唄をうたふのであるが、そのうたひ方が頗る人を食ったものだ。
「オレは河原の枯れすすき、コリャ」
などと掛声を入れてうたってゐる。彼は帽子を二つ持ってゐる。一つは鳥打、これは冠ってゐる。一つはべチャべチャな学帽。これは膝の前に置いてある。これは銭受である。この中へ銭を投げ込む者があると、彼はうたひながら軽く頭を下げて謝意を表す。
 但し投げ込まれた物が白い色をしてゐると、彼はわざわざ風琴の手をやめて、冠ってゐる鳥打を脱いで、下の学帽に頭が届くまで最敬礼をする。彼はまたなかなかしゃれ者である。顔に綺麗に剃刀を当ててゐる時が多い。
「山路越へて、ひとりゆけど……」
 賛美歌をうたってゐる時もある。かと思ふとまた、
「猪牙でエエエエ、セッセ」
などと「深川」をやる。
 寒い風が吹き募って、人があまり通らない時でも、彼はひとりで風を見ながら、風琴を鳴らしてうたひ続けてゐる。彼は淋しさうだ。しかしまたいかにも嬉しさうに唄ってゐるやうでもある。
 人を小バカにしてゐるところもあるが、私にはナンダカ彼こそほんとうの淋しみを知り、ほんとうの喜びを知ってゐる男のやうに思へた。が、彼はやがて浅草に姿を見せなくなった。どこをどうしてゐるのか。
 私には、ときどき思ひ出せて仕方のない、風琴と老人なのである。

    慈善心を食ふ

 観音さまの周りの雑沓の中を、文字《もんじ》通り蓬頭垢面、ボロを引き摺った男が、何か分らぬことを口の中でモヅモヅ呟きながら、ノロノロと歩き廻ってゐる。
 彼はしゃべ[#「しゃべ」に傍点]ってゐる。動いてゐる。と、群集の中から一人が急いで彼の手に白銅を一つ乗せてやる。すると、後から後から、あはて者が蟇口を開いて、小銭を彼に与へる。彼の掌の上ではいつの間にか銭がたまってゐる。
 さて皆さん、落ついて考へて下さい。かの見苦しい男は、けっして乞ふてはゐないのです。ただひとり言を言って歩いてゐるだけの話です。
 それを見て、おせっかいな人が、もしくは慌て者が、得々として慈善心をほころばせて財布を開ける。と、皆々これに倣ふ、といふ筋書です。これは素敵な台本です。
 この男は、「慈善心を食ふ」こ
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