乞はない乞食
添田唖蝉坊

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)絃《いと》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)しゃべ[#「しゃべ」に傍点]ってゐる。
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    指がなくて三味線を弾く男
 
 浅草に現はれる乞食は、みなそれぞれに風格を具へてゐるので愉快である。乞食といふ称呼をもってする事は、この諸君に対してはソグハないやうな気がするくらいだ。いかにこれらの諸君が人生の芸術家であるか、また、浅草を彩るカビの華であるかといふことについて語らう。
 浅草といふ舞台には、かかる登場者が順次に現はれ、消えてゆく。

 指がなくて三味線を弾く男――。彼はロハベンチに腰を掛けてゐる。左の手の指が四本ない。残った拇指で、煙管の半分に折れた吸口の方を挟み、その吸口の膨れた部分、凹んだ部分を巧みに利用して絃《いと》をおさへる。バチの代りにマッチの棒で弾く。
 離れて聴いてゐると、普通に弾いてゐるのとちっとも変りがない。一ぱいの人だかり、みんな感心して煙管の動きを目で追ひ、熱心に聴いてゐる。中には彼と同じベンチに彼に寄り添ふやうに腰かけてゐるものもある。「立山」を一つ弾いてから、
「今度は春雨でもやってみよう、しめっぽいものより陽気な方がいいからね」
 誰にともなくいふ。さも楽しんでゐるかのやうな話し振りだ。金を彼の膝の脇へ置く者があると、
「ヤ、どうもありがたう」
といかにも晴ればれと、まるで友達にでも挨拶するやうだ。しかもけっして反感を抱かせない快朗な声である。彼はけっして乞はない。泣言を言はない。彼の指のない理由についても、彼自身からしゃべることはけっしてない。誰かが執拗に尋ねたならば、彼はかく簡単に答へる。
「これですかい、工場でやられてね。どうもしやうがない、しばらく寝てゐたが、もう働らくこともできない不具になったんだなといろいろ考へてる内に、ちょっとした拍子からこんなことをはじめてね、イヤどうも情けない仕儀でさア」
と、またもや弾きながら小声でうたってゐる。彼を中心とした一団はまことに蟠《わだかま》りがない。彼を卑しめることなく、煙管の折れとマッチの軸によって生じる音色に聴き惚れる。そして、金を置く者があると、
「ヤ、ありがたう」
と、まるで友達にでも挨拶するやうに、彼は礼をいふ。

    風琴と老人

 時代遅れ
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