駱駝もゐる。熊なんぞはペエテルブルクの直傍《ぢきそば》にもゐる。余計な事を思つて、とう/\自分が動物の腹の中へ這入つたのです。お負けに※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の腹なんかに。」
「どうぞさう仰やらないで、少しは気の毒だとお思ひなすつて下さい。あの男は不為合《ふしあは》せになつた今日、平生の御交際を思つて、丁度親類中の目上の人に依頼するやうに、あなたに相談相手になつて戴きたいといふのです。それにあなたはあの男を非難してばかりお出になる。せめては女房のエレナにでも御同情なすつて下さいませんか。」
 チモフエイは稍《やゝ》耳を欹《そばだ》てた気味で、愉快げに※[#「鼻+嗅のつくり」、第4水準2−94−73]煙草《かぎたばこ》を鼻に啜り込んだ。「はあ。あの男の妻《さい》ですか。洒落た女ですね。ちよつとあんな女はゐませんね。かうどことなくふつくりしてゐて、小さい頭をちよつと横に傾《かた》げてゐる所が好いです。好い女です。おとつひもアンドレイ・オシピツチユがあの女の噂をしましたよ。」
「へえ。あの妻君の噂をせられたのですか。」
「さうです、さうです。しかも大層褒めてゐましたよ。胸の格好が好い。目附が好い。それから髪容《かみかたち》が好い。まるで旨い菓子のやうだ。だが女ではないと云つて、笑つたです。まだあの人も若いですからな。」チモフエイはラツパを吹くやうな音をさせて、嚏《くしやみ》をした。そしてかう云つた。「そこでですな。あの御亭主には困りますよ。突然そんな途方もない所へ這入り込んでしまつたとなると。」
「併しどうも不運で非常な事に逢つたのですから。」
「それはさうです。併し。」
「ところでどうしたものでせう。」
「さあ。一体これをわたしがどうすれば好いと云ふのですか。」
「兎に角どうしたら宜しからうか、その辺のお考を仰やつて下さい。御経験のおありになるあなたの事ですから。どう云ふ手続にいたしたら宜しいでせう。上役に申し出たものでせうか、それとも。」
「上役にですか。それは断然行けますまい。」チモフエイの語気は急であつた。「わたしの意見では、先づ成るたけ事を大きくしないで、万事内々で済ますですね。さう云ふ事はどんな嫌疑を受けまいものでもないです。なんにしろ新事実ですからね。これまで例のない事ですからね。その未曾有《みそう》だと云ふ事、先例が
前へ 次へ
全49ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ドストエフスキー フィヨードル・ミハイロヴィチ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング