細君を慰めながら馳走になつた。それから六時頃までゐて、コオフイイを一杯飲ませて貰つて、チモフエイの所へ出掛けた。丁度この時刻にはどこの内でも主人は坐つてゐるか横になつてゐるかに極まつてゐると思つたからである。
 これまでは非常な出来事を書く為めに、多少|誇張《くわちやう》した筆法で書いたが、これから先は少し調子を変へて、平穏な文章で自然に近く書く事にしようと思ふ。読者もその積りで読んで貰ひたい。

     二

 チモフエイは妙に忙《せは》しさうな様子をして、己に応接した。なんだか少し慌てゝゐるかとさへ思はれた。先づ小さい書斎に己を連れ込んで、戸を締めてしまつた。「どうも子供がうるさくて行けませんからね」と、心配げに、落ち着かない様子をして云つた。それから手真似で机の傍へ己を坐らせた。自分は楽な椅子に尻を据ゑて、随分古びた綿入の寝衣《ねまき》の裾を膝の上に重ねた。一体この男は己の上役でもなく、イワンの上役でもない。平生は気の置けない同僚で、然も友達として附き合つてゐるのである。それにけふはいやに改まつて、殆ど厳格なやうな顔附をしてゐる。
 己が一都始終を話してしまつた時、主人は云つた。「最初に考へてお貰ひ申さねばならないのですが、全体わたしは上役でもなんでもないのですね。あなたともイワン君とも同等の人間です。して見ればさう云ふ事件が生じたに付いて、何もわたしが立ち入つて彼此申さなくても好いやうなものですね。」
 己は異様に感じた。何より不思議なのは、主人が最初から一切の事を知つてゐるらしいのである。それでも己は念の為め今一度繰り返して、始終の事を話した。二度目には前より委《くは》しく話した。己の調子は熱心であつた。己はイワンの親友として周旋して遣らなくてはならないと思つたからである。併し今度も主人は少しも感動する様子がない。否、寧ろ猜疑の態度で、己の詞を聞いてゐる。
 最後に主人は云つた。「実は早晩《いつか》こんな事が出来はしないかと、疾《と》うから思つてゐましたよ。」
「それはなぜでせう。中々容易に想像の出来ない、非常な事かと思ふのですが。」
「それはあなたの云はれる通りかも知れません。併しあのイワンと云ふ男は役をしてゐる間中見てゐますと、どうもこんな末路に陥りはしないかと懸念せられたのですよ。兎角物事に熱中する癖があつて、どうかすると人を凌駕するやうなところも
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