問題とか云ふのなんぞはなんの事だか知りませんが、どうせ詰まらない理窟なのでせう。」エレナは媚びるやうな調子で、わざと語気を緩《ゆる》めて云ふのである。
「さうですか。それは僕が直に説明して上げませう。」かう云つて、己は目下の経済では、外債を募るのが一番好結果を得る方法だと云ふ説明を饒舌《しやべ》つた。それは「ペエテルブルク新聞」でけさ読んだのである。
 細君は暫く聞いてゐたが、急に詞を遮つた。「そんなものですかね。妙な理窟です事。だがもうお廃しなさいよ、そんな人困らせの議論なんか。一体あなたけふは下らない事ばかり仰やるのね。あの、わたしの顔は余り赤くはないでせうか。」
「なに。赤くはありません。美しいです。」好機会を得て、お世辞を一つ言ふ積りで、己は云つた。
「まあ、お世辞の好い事。」細君は得意げに云つた。それから少し間を置いて、媚びるやうな態度で、小さい頭を傾けて言つた。「ですけれど宅は可哀さうですね。」それから突然何事をか思ひ出した様子で云つた。
「おや。大変だ。あなたどうお思ひなさるの。宅はお午が食べられないでせう。それに何かいる物があつても、どうもする事が出来ないでせうねえ。」
 己も細君と一しよになつて途方に暮れた。「成程。それは予期してゐない問題ですね。僕もそこまではまだ考へてゐなかつたのです。それに付けても人生のあらゆる問題に対して、どうも婦人の方が男子より着実な思想を持つてゐるやうですね。」
「まあ、どうしてあんな所へ這入つたものでせうね。今では誰と話をする事も出来ないで、ぼんやりして坐つてゐる事でせう。それに真つ暗だと云ふぢやありませんか。ほんとにこんな事があると知つたら、宅に写真を撮らせて置くのでしたつけ。わたし今は一枚も持つてゐませんの。ほんとにかうなつてみれば、わたしは後家さんのやうなものですね。さうぢやありませんか。」人を迷はせるやうな微笑をして云ふのである。細君は自分が未亡人《びばうじん》のやうな身の上になつたと云ふ事に気が付いて、それをひどく興味があるやうに思つてゐるらしい。暫くして細君は云つた。「ですけれど、気の毒な事は気の毒ですわね。」
 細君は続いて色々な事を話した。無理もない。若い美しい奥さんの事だから、別れた亭主を恋しがるのは当り前である。彼此話してゐる内に、我々はイワンの家に来た。細君が午食《ひるしよく》を馳走するので、己は
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