けてずんずん奥《おく》へはいって行くと、そこからほど近い林のあいだのあき地で、百姓《ひゃくしょう》がたったひとりで畑《はたけ》を起している音が聞えてきました。わたしは、その百姓のたがやしているのが急《きゅう》な山畑《やまはた》で、馬が鋤《すき》をひいて歩くのにはつらい場所だということを知っていました。じっさいわたしの耳には、ときどき、「ほれ、よう!」という百姓のかけ声がつたわってくるのでした。
 わたしは、村の百姓は、ほとんどみんな知っていましたが、今たがやしているのが、その中のだれなのかわかりませんでした。それに、そんなことはどうだってよかったのです。というのは、わたしは自分のしごとに夢中《むちゅう》になっていましたから。つまりわたしは、かえるを打つために使うくるみの枝《えだ》をおろうと、一生《いっしょう》けんめいでした。くるみの枝でつくったむち[#「むち」に傍点]ときたら、きれいで、よくたわんで、とても白《しら》かばの枝なんか、くらべものにならないのです。それだけじゃありません、いろんなかぶと虫《むし》にもわたしは気をとられていました。わたしは採集《さいしゅう》にかかりましたが、な
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