といったら。みんなが、わめいたり、手をふりまわしたりする中で、ひとりの奥さんが、いそいでそばへよってきて、少年の手のひらに一|円《えん》銅貨《どうか》をおしこむと、自分でおもてのドアをあけて、少年を追いだしてしまった。
 少年は、びっくりぎょうてんした。そのはずみに、銅貨がすべり落ちて、入口の石段《いしだん》でちゃりんと嗚《な》った。まっかになった指はまげることができず、銅貨をにぎっていられなかったからだ。
 そこを逃《に》げだすと、少年はどこへ行くのか自分でもわからず、どんどんいそぎ足で歩いて行った。また泣きだしたくなったけれど、こわさのほうがさきにたって、両手《りょうて》に息《いき》を吹《ふ》きかけながら、いちもくさんに走《はし》って行く。やがて急《きゅう》に、さびしい気味《きみ》のわるい気がしてきて、心|細《ぼそ》くなったが、そのとたんに、ああ、これはまた、どうしたことだろう。黒山のように人だかりがして、みんな目をまるくして見物《けんぶつ》している。
 窓《まど》ガラスの中には、小さな人形《にんぎょう》が三つ、赤や緑《みどり》の服《ふく》を着《き》て、まるで、ほんとに生きているようだった。じいさんが腰《こし》かけて、大きなヴァイオリンを弾《ひ》いていると、残《のこ》るふたりはそのそばに立って、小さなヴァイオリンを弾きながら、ひょうしにあわせて首《くび》をふりふり、たがいに顔《かお》を見あわせて、くちびるをもぐもぐ動かしている。何か話をしているのだ。ほんとに話をしているのだが、ガラスの向こうなので、聞えないだけなのだ。
 はじめのうち少年は、ほんとに生きているのだと思ったけれど、まもなく、なあんだ人形《にんぎょう》なんだ、と気がつくと、いきなり大声で笑《わら》いだした。今の今まで、そんな人形を見たこともなければ、そんなのがあろうとは夢《ゆめ》にも知らなかったのだ。泣《な》きたいような気もするけれど、そのくせ人形が、おかしくておかしくてたまらない。……
 するとふいに、だれかがうしろから、ぐいとえり首《くび》をつかんだような気がした。見ると、大きななりをした不良《ふりょう》少年が、すぐうしろに立っていて、いきなり頭《あたま》をなぐりつけると、少年の帽子《ぼうし》をもぎ取って、足でうんとけとばした。地べたに、ころころころがったが、まわりでどっと人声がしたので、あやう
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