驍謔、にして、妙に不自然な見苦しい足どりで、ひょいひょいと飛び上がりながら引いて行く、――その光景がネクラソフの詩の中に恐ろしいほど如実に現われている。もっとも、これは高が馬の話だ。馬というやつは打つために神様から授かったものだ、と、こうダッタン人がわれわれに説明して、それを忘れぬように鞭《むち》をくれたんだよ。ところが、人間でもやはりなぐることができるからね。現に知識階級に属する立派な紳士とその細君が、やっと七つになったばかりの生みの娘を笞《むち》で折檻している――このことは僕の手帳に詳しく書きこんであるんだ。親父さんは棒っ切れに節くれがあるのを見て、『このほうがよくきくだろう』なんて喜んでいるのさ。そして現在に血をわけた娘を『やっつけ』にかかるのだ。僕は正確に知ってるが、なかには一つ打つごとに情欲といっていいくらいに――字義どおりに情欲といっていいくらい、熱していく人がある。これが笞の数を重ねるたびに、しだいしだいに激しくなって、級数的に募っていくのだ。一分間なぐり、五分間なぐり、やがて十分間となぐりつけるうちに、だんだん『ききめ』が現われて愉快になってくる。子供は一生懸命に『お父
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