になったからといって、またその人がお恵みを授かったからといって、首を切り落とすなんてことはばからしい話だ。しかし、くり返して言うが、ロシアにもやはり独自のものがある。ほとんどこの話に負けないくらいのがあるよ。ロシアでは人をなぐって痛めつけるのが、歴史的な、直接的で最も手近な快楽となっている。ネクラソフの詩には、百姓が馬の眼を――『すなおな眼』――を鞭《むち》で打つところを歌ったのがある。あんなのは誰の眼にも触れることで、ロシア式といってもいいくらいだ。この詩人の描写によると、力にあまる重荷をつけられた弱々しい馬が、ぬかるみに車輪を取られて引き出すことができない。百姓はそれを打つ、猛烈に打つ、ついには自分でも何をしているのかわからないで、打つという動作に酔ってしまって、力まかせに数知れぬ笞《むち》の雨を降らすのだ。『たとい手前の手に負えなくっても、引け、死んでも引け!』痩せ馬が身をもがくと、やるせない動物の泣いているような『すなおな眼』の上を、百姓はぴしぴしと打ち始める。こちらは夢中になって身をもがき、やっとのことで引き出す。そして全身をぶるぶる震わせながら、息もしないで体を斜めに向け
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