ェ愚かしい顔をしているとか、でなければ、いつか僕がその男の足を踏んづけたとか、そういったような理由によるんだ。それに苦悩にもいろいろある。屈辱的な苦悩、僕の人格を下げるような苦悩、たとえば空腹といったようなものなら、慈善家だって許してくれるけど、少しく高尚な苦悩、たとえば理想のための苦悩なんてものになると、きわめて少数の場合以外には、けっして許してくれない。なぜかというと、僕の顔を見ると、その慈善家が空想していたような理想のための受難者の顔とはまるで似ても似つかないからというのだ。そこで僕はその人の恩恵を取り逃がしてしまうことになる。それはけっしてその人の悪意からではない。乞食、ことにたしなみのある乞食は、断じて人前へ顔をさらすようなことをしないで、新聞紙上で報謝を乞うべきだ。抽象的な場合ならまだまだ隣人を愛することもできる。遠くからなら隣人も愛し得るが、そばへ寄ってはほとんど不可能だ。もしも舞踊劇の舞台でのように、乞食が絹の襤褸《ぼろ》を着て、破れたレースをつけて出て来て、優雅な踊りをしながら報謝を乞うのだったら、まだしも見物していられるよ。しかし、それも見物するというまでで、けっし
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