たという理由で、わたしをキリスト教徒なみに、とやかくと詮議立てするどんな正義があるのです? だって、わたしは、ただ否定しようと心に思っただけで否定するより前にもうちゃんと洗礼を剥《は》ぎ取られているんですからね、で、もしわたしがキリスト教徒でないとすれば、わたしはキリストを否定することもできません、なぜと言って、否定しようにも否定すべきものがないではありませんか、けがらわしいダッタン人が天国へ行ったからとて、なぜおまえはキリスト教徒に生まれなかったと言って、とがめ立てするものはありませんからね、グリゴリイ・ワシーリエヴィッチ、一匹の牛から二枚の革の取れないことを知っているぐらいの人だったら、こんな人間に罰を当てたりはしませんよ、万能の神様だって、そのダッタン人が死んだときには、汚れた両親から汚れたダッタン人としてこの世へ生まれて来たからとて、当人に何の責任もないということを斟酌《しんしゃく》して、ほんのちょっぴり、申しわけだけの罰をお当てになるだけだと思いますよ、(全然、罰しないというわけにもいきますまいからね)また神様にしても無理にダッタン人をつかまえて、おまえはキリスト教徒であった
前へ
次へ
全844ページ中373ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ドストエフスキー フィヨードル・ミハイロヴィチ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング