自分のような道楽者ではないが、目のあたりに行なわれるすべての不行跡を見、かつその裏の裏まで知り尽くしていながら、忠順の心からいっさいを見のがして反抗しない、しかし何よりも大切な点は、けっして非難をしないことで、現世のことにしろ来世のことにしろ、なんら脅かすようなことを言わないが、すわ[#「すわ」に傍点]という場合には、自分を守ってくれる――誰から? 誰からかはわからないけれど、しかし、危険な恐ろしい人間からである。つまり、昔なじみの親しい『自分以外の』人間が、ぜひいなくてはならない、心の疼むようなときにその男を呼び寄せる、それもただじっとその顔を見つめて、気が向いたら何か一つ二つ、それも全く縁のないむだ口をたたき合うくらいが関の山で、もし相手が平気な顔をして別に腹も立てないようなら、それでなんとなく心が休まるし、もし腹を立てれば、よけい心がめいろうというものである。こんなこともあった(もっともそれはごくたまさかのことだが)、フョードル・パーヴロヴィッチがそれも夜中に傍屋《はなれ》へ行って、グリゴリイをたたき起こすと、ちょっとでいいから来てくれという。こちらが起きて行ってみると、フョード
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