、その思いに心を挫《ひし》がれていたのである。彼は道の両側に連なる、幾百年を経た松の並木をじっと眺めた。その道程はたいして遠くはなく、わずか五百歩ばかりにすぎなかったが、こんな時刻に誰ひとり出会わす者はあるまいと思っていたのに、突然、最初の曲がり角でラキーチンの姿を認めた。彼は誰かを待ち受けていたのである。
「僕を待ってるんじゃないかい?」アリョーシャはラキーチンと並び立つとこう尋ねた。
「まさしくそのとおり、君をさ」ラキーチンはにやりと笑った。「修道院長のところへ急いでるんだろう、知ってるよ。供応があるんだからね。大主教がパハートフ将軍といっしょに来られたとき以来、あれほどの御馳走は今までなかったくらいだ。僕はあんなところへ行くのは御免だが、君はひとつ出かけて、ソースでも配りたまえ。ただ、一つ聞きたいことがあるんだ。いったいあの寝言はなんのことだい? 僕はそれが聞きたかったのさ」
「寝言って何?」
「あの、君の兄さんの、ドミトリイ・フョードロヴィッチに向かって、地にぬかずいてお辞儀をしたやつさ。おまけに額がこつんといったじゃないか!」
「それは君、ゾシマ長老のことなの?」
「ああ、ゾシマ長老のことだよ」
「額がこつんだって?」
「ははあ、言い方がぞんざいだというのかい! まあ、ぞんざいだっていいやね。で、いったいあの寝言は何を意味するんだ?」
「知らないよ、ミーシャ、何のことだかさっぱり!」
「そうだろう、長老が君に話して聞かせるはずはないと思ったよ。もちろん何もむずかしい問題はないのさ。いつもお決まりのありがたいたわごとにすぎないらしい。しかし、あの手品はわざとこしらえたものなんだぜ。今にみたまえ、町じゅうのありがたや連が騒ぎだして、県下一帯にもち回るから。『いったいあの寝言はなんの意味だろう?』ってんでね。ところが、あのお爺さんなかなか観察眼が鋭いよ。犯罪めいたものを嗅ぎ出したんだね。全く君の家は少々臭いぜ」
「犯罪ってどんな?」
 ラキーチンには何やら話したいことがあるらしかった。
「君の家で起こるのさ、その犯罪めいたものが。それは君の二人の兄さんと、裕福な君の親爺さんのあいだに起こるんだよ。それでゾシマ長老も万一の場合を慮《おもんばか》って、額でこつんをやったのさ。後で何か起こったときに、『ああ、なるほど、あの上人《しょうにん》が予言したとおりだ』と言わせるためなんだ。もっとも、あの爺さんが額でこつんとやったのは、予言でもなんでもありゃしないよ。ところが、世間では、いやあれは象徴《シンボル》だの諷刺《アレゴリイ》だのと、くだらないことをいうのさ! そして犯罪を未然に察したとか、犯人の目星をつけたとか言いふらすのだ。宗教的奇人《ユロージウイ》なんてものはみんなそうなんだよ。居酒屋に向かって十字を切って、お寺へ石を投げつけるってやつさ、君の長老もそのたぐいで、正直なものは棒で追っぱらいながら、人殺しの足もとにはいつくばるってね」
「どんな犯罪なの? 人殺しって誰のことだい?」アリョーシャは釘づけにされたように棒立ちになった。ラキーチンも立ち止まった。
「どんなって? いやに白ばくれるね? 君がもうこのことを考えてるってこたあ、賭《かけ》をしてもいいよ。しかし、こいつぁあちょっとおもしろい問題だ。ねえアリョーシャ、君はいつも二股膏薬《ふたまたごうやく》だけれど、とにかく本当のことを言うから、聞いてみるんだが、いったい君はこのことを考えてたのか、それとも考えていなかったのかい?」
「考えてたよ」とアリョーシャは低い声で答えた。で、ラキーチンのほうがいささかめんくらった形だ。
「なんだって? 君は本当にもう考えてたのかい?」と彼は叫んだ。
「僕は……僕は別に考えていたっていうわけじゃないけれど」と、アリョーシャはつぶやくように答えた。「いま君があんな変なことを言いだしたので、なんだか僕自身もそんなことを考えていたような気がしたのさ」
「ほうら(君ははっきり言い表わしたんだよ)ほうらね? 今日お父さんとミーチェンカ兄さんを見ているうちに、犯罪のことを考えたんだろ? してみると、僕の推察に誤りはないだろう?」
「まあ、待ちたまえ、待ちたまえ」とアリョーシャは気づかわしげにさえぎった。「君はどういうところからそんな風に考えるの?……なんだって君はそんなことばかり気にするのだ。これがまず第一の問題だよ」
「その二つの質問はまるで別々の問題だが、しかしもっともなことなんだよ。おのおの別々に答えよう。まずどういうところから感づいたかといえば、今日君の兄さんドミトリイ・フョードロヴィッチの赤裸々の正体を、突然、一瞬のあいだにすっかり見抜いてしまったからだ。さもなければ、こんなことを感づくはずはなかったのさ。つまり、何かしらちょっとしたきっか
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