痰ヘ灰色に輝いているが、目立って飛び出していた。彼はO《オー》の母音に強い力点をおいて物を言っていた。その昔、囚人ラシャといっていた粗末な地の、長い赤茶けた百姓外套を着け、太い繩《なわ》を帯にしている。首と胸とは、すっかりむき出しになっていたが、幾月も脱いだことがなく、まっ黒になっている厚地の麻で作ったシャツが、外套のかげからのぞいていた。人の話によると、彼は外套の下に、三十斤の錘をつけているとのことであった。形のほとんどくずれかかった古い沓《くつ》を素足にはいていた。
「オブドルスクの小さな修道院から、聖シリヴェストルのお使いでまいりましたので」そわそわして、好奇の色に満ち、しかも、幾分おびえたような眼《め》つきで、遠来の客は隠者を観察しながら、つつましく答えた。
「ああ、おまえさんのシリヴェストルのところへ行ったことがある。しばらく滞在していたものじゃ。シリヴェストルは丈夫かえの?」
 僧は口ごもった。
「おまえさんはわけのわからん人だでのう! ときに、精進はどんな風に守っているかの?」
「わたくしのほうの食事は昔の行者のしきたりで、このようになっております。四旬節について申しますると、月曜、水曜、金曜には、全く食事をとりません。火曜と木曜には、同宿のもの一同に白パンに蜜入りの汁、それに苺《いちご》か塩漬けの玉菜、それから碾割《ひきわり》の燕麦《えんばく》がつくことになっております。土曜日には、白スープと豌豆《えんどう》の素麺《そうめん》、それにどろどろのお粥《かゆ》が出ます。これにはみんなバタがつくのでございます。日曜には、乾魚とお粥がスープにつくことになっております。神聖週間には、月曜から土曜の晩まで、六日間というものはパンと水ばかりで、ただ生の野菜を食べるくらいのものでござりますが、それさえも、制限がありまして、毎日食べるわけにはまいりません。これは第一週について申したとおりでございます。神聖金曜には何一つ食べることができません。それと同じて神聖土曜にも二時過ぎまで断食をいたしまして、二時過ぎにはじめてパンを少々と水を飲み、葡萄酒《ぶどうしゅ》を一杯だけいただきまする。神聖木曜にはバタのつかない食物とお酒を飲んで、ときによっては、干ものを食べることもござります。と申しますのは、神聖木曜についてのラオジキアの会議集にも、『四旬節の最終の木曜を慎しまざるは、四
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