ちしん》と潔癖とであった。彼は女に関するある種のことばやある種の会話を、はたで聞いていることすらできなかった。ところが、不幸にも、こうした『ある種』のことばや会話は、いずれの学校においても絶やすことはできないものである。まだほんの子供で、心も魂も清浄潔白な少年たちが、時によっては兵隊でさえ口にするのを憚《はばか》るような事柄や、場面や、方法などを、教室の中で、仲間同士大きな声で口外する。かえって兵隊などは、教育のある上流社会の年少の子弟が疾《と》うの昔に知っているような、この方面のことを、あまり知りもしなければ、心得てもいないものである。まだ、そこにはおそらく、道徳的堕落というようなものはないであろう。厚顔無恥はあっても、やはり本当の意味での放縦な、内面的なものではなくて、ただ外面的なものにすぎないが、しかもこれがしばしば彼らのあいだでは、何かデリケートで、微妙で、男らしい、模倣《もほう》に価するもののように考えられるのである。『アリョーシャ・カラマゾフ』が『そのこと』について話の出るたびに、あわてて指で耳を塞《ふさ》ぐのを見て、時おり一同はことさらぐるりに集まって、むりやりにその手を払いのけながら、両の耳を向けて大声で忌まわしいことをわめくのであった。すると相手は、それを振り払って、床の上に倒れ、すっかり顔を隠してしまって、その際、何も言わなければ、乱暴な口ひとつきかず、無言のまま、じっと侮辱を忍ぶのであった。ついには誰も彼を構わなくなって、『女《あま》っ児《こ》』とからかうのさえもよしてしまったばかりではなく、この意味で彼に同情をもって見るようになった。ついでながら、級中、学課において彼はいつも優等生の一人であったが、一度も首席になったことはなかった。
 エフィム・ペトローヴィッチが死んでからも、アリョーシャはなお二年のあいだ、県立の中学校にとどまっていた。エフィム・ペトローヴィッチの夫人は悲嘆に暮れて、良人《おっと》の亡きあと、すぐに、女ばかりの家族をまとめて、永逗留の予定でイタリアへ旅立ってしまったので、アリョーシャはエフィム・ペトローヴィッチの遠縁に当たる、これまで一度も顔をみたこともない二人の婦人の家へ移ることになったが、いかなる条件のもとに引き取られたものか、それは自分でも知らなかった。もう一つ、彼の、非常にといっていいくらいの変わった性質は、自分はそ
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