もそも、誰の費用で生活をしているのか、ということを、これまで一度も心に留めたことのない点であった。この点において、兄のイワン・フョードロヴィッチが大学で初めの二年間、自分で働いて身すぎをしながら苦労をしたり、またほんの子供のころから、自分の恩人の家で他人のやっかいになっている、ということを感じてつらい思いをしていたのに比べると、全く正反対であった。
 しかし、アリョーシャのこうした奇妙な性格も、あまり深くとがめるわけにはいくまいと思われる。というのは、彼を少しでも知っている者は誰でも、この問題にぶつかると、アレクセイはたとえ一時に多額の金がはいったところで、最初に出会った無心者に施してしまうか、なにかの慈善事業に寄付をするか、または単に巧妙な詐欺師にひっかかって巻きあげられるかして、苦もなく使い果たしてしまう宗教的キ印《じるし》に類する青年の一人に違いないと、すぐに気づくからであった。概して彼は金の値打ちというものをよく知らなかった。もとより、それは文字どおりの意味ではない。彼はけっして自分から頼んだのではないが、時おり小遣い銭をもらうことがあったが、それも、時によると、幾週間もその使途に困ってもてあますかと思えば、また時には恐ろしく無雑作に扱って、またたく間になくしてしまうのであった。フョードル・アレクサンドロヴィッチ・ミウーソフは、金やブルジョアらしい廉恥心にかけては、少なからず神経過敏なほうであったが、のちに、アレクセイを見慣れてしまってから、あるとき、彼について一つの名句を吐いたことがあった。
『この男はおそらく、世界じゅうにただ一人の、類のない人間かもしれない。あれはたとい人口百万ほどの不案内な都会の大広場へ、いきなりただ一人で、一文なしで打っちゃられても、けっして飢え死にをしたり、凍《こご》え死にをしたりすることはないだろう。すぐに人が食べものをくれたり、仕事の世話をしてくれたりするから。人がしてくれなくとも、自分ですぐどこかに職を見つける。しかもそれはあの人間にとって、骨の折れることでもなければ、屈辱でもなく、また世話をしてくれる人もそれを少しも苦にしないどころか、かえって満足に思うだろう』
 彼は中学の全課程を終えなかった。まだ卒業までにはまる一年あるのに、彼はいきなり、やっかいになっていた二人の婦人に向かって、ふとある用事が頭に浮かんできたので、父
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