、神学的な論文を冗談半分に雑誌に載せている。そしてその陋劣《ろうれつ》さを、自分でちゃんと承知しているのだ。それにまだ、兄のミーチャから花嫁を横取りしようとしているが、たぶんこの目的は成功するだろう。しかもそのやり口はといえば、当のミーチェンカから承諾を得たうえなんだからなあ。それというのも、ミーチェンカはただいちずに許嫁《いいなずけ》のきずなを逃がれて、グルーシェンカのもとへ走りたいばっかりに、自分から進んで未来の妻を譲ろうとしているからだ。しかもそれを清廉潔白な気持でやっているのだから、注目に値するよ。いや、全くそろいもそろって因果な連中だ! こうなっては、何が何やらとんとわからなくなるよ。自分の陋劣を自覚しながら、その陋劣の中へもぐりこんでいくのだからな! まあ、その先を聞きたまえ。今ミーチャの行く手をふさいでいるのは、老いぼれの親父だ。あの親父さん、このごろ急にグルーシェンカに血道をあげて、あの女の顔を見ただけで、涎《よだれ》をだらだら流してるじゃないか。親父さんがいま庵室で大乱痴気を演じたのも、ただミウーソフが、無遠慮にあの女のことを淫売だなんて言ったからさ。まるでさかりのついた猫より下劣だ。以前あの女は何か後ろ暗い、酒場に関係したことで、親父さんに雇われていただけなんだが、いまごろ急にその容色に気がついて、狂気のようにのぼせあがって口説《くど》きおとしにかかったんだ、もちろん、その口説も真正直なものではないさ。だから、この二人は、――親父さんと兄さんとは、どの道、衝突せずにいられないよ。ところがグルーシェンカのほうは、どっちつかずの曖昧《あいまい》なことで二人をごまかして、両方をからかってるんだ。そして、どっちが得だか日和見《ひよりみ》をしているのさ。なぜって、親父さんのほうからは金が引き出せるけれど、その代わり結婚はしてくれず、とどのつまりは、ユダヤ人式のやり口で、財布《さいふ》の口を締めてしまうかもしれない。こうなるとミーチャにも独自の価値が生じてくる。金はないが、その代わり結婚することができる。そうだ、結婚することができるのだ! 自分の許嫁の、比類まれな美人で、金持ちで、貴族で、大佐令嬢たるカテリーナ・イワーノヴナをすてて、町長のサムリノフという狒々爺《ひひおやじ》の小商人に囲われていた、グルーシェンカと結婚するんだ。こうしたすべての事情から、本当
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