い、くよくよすることもいらぬ。ただそなたが懺悔の心を衰えぬようにしさえすれば、神様は何もかも許してくださるのじゃ。それに、真実心に後悔しておる者を神様が許してくださらぬような、そんな罪業は、けっしてこの世にあるものではない、またあるべきはずもないのじゃ。それにまた、限りない神様の愛をさえ失ってしまうような、そんな大きな罪が犯せるものではない。それとも神様の愛でさえ追っつかぬような罪でもあるというのか? ひたすら怠りなく、懺悔精進して、恐ろしいという心を追いのけるがよい。神様はそなたのとうてい考え及ばぬような愛を持っていらっしゃるぞ、たとえそなたに罪があろうとも、そなたの罪のままに、そなたを愛していらっしゃるということを信じなされ。一人の悔い改むるもののためには、十人の正しきものによってよりも、天国に喜びは増すべけれと、昔から言ってある。さあ帰りなされ、恐れることはない。人の言うことを気にしたり、侮蔑《ぶべつ》に腹を立てたりしてはならぬ。死んだ配偶《つれあい》がそなたをはずかしめたことはいっさい許して、真底から仲なおりをするのじゃ。もし後悔しておるとすれば、つまり愛しておるのじゃ、もし愛しているならば、そなたはもはや神の子じゃ……愛はすべてのものを贖《あがな》い、すべてのものを救う。現にわしのようにそなたと同じく罪深い人間が、そなたの身の上に心を動かして、そなたをあわれんでおるくらいじゃもの、神様はなおのことではないか。愛はまことにこのうえもない宝で、これがあれば世界じゅうを買うこともできる。自分の罪はいうまでもなく、人の罪でさえ贖うことができるのじゃ、さあ帰りなされ、恐れることはない」
 彼は女に三度まで十字を切ってやり、自分の首から聖像をはずして、それを女にかけてやった。女は無言のまま地にぬかずいて伏し拝んだ。長老は立ち上がると、乳飲み子を抱いた丈夫そうな一人の女を、機嫌よく眺めるのだった。
「ウィシェゴーリエから参じましたよ」
「それは六露里からあるところを、子供を抱いて、さぞくたびれたじゃろう。何の用じゃな?」
「おまえ様を一目拝みに参じましただ。わしはようおまえ様のところへ参じますだに、お忘れなされましただかね? わしを忘れなされたとすりゃ、あんまり物覚えのええおかたではないとみえるだ。村ではおまえ様がわずらっていなさるちゅうこんだで、ちょっとお見舞いにと思
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