いますよ。ほんとによくおっしゃりなされました、これまで、わたくしはそういうお話は聞いたことがございません。全くそのとおりで、わたくしは生涯のあいだいい気持になるまで腹を立ててまいりました。つまりその、美的に腹を立てたのでございますよ。なぜといって、侮辱されるというやつは、気持がいいばかりでなく、どうかすると美しいことがございますからな。この美しいっていうことを一つお忘れなされましたよ、長老様! これは手帳へ書きつけておきましょうわい! ところで、わたくしは徹頭徹尾、嘘をつきました。それこそ一生のあいだ毎日毎時間、嘘をつきました。まことに偽りは偽りの父なり!――でございますよ。もっとも、偽りの父ではないようでございますな。いつもわたくしは聖書の文句にはまごつきますので。まあ、偽りの子にしたところで結構なんですよ。ただしかし……長老様……ディデロートの話も、ときにはよろしゅうございますよ? ディデロートは害になりません、害になるのは別の話でございます。ときに、お偉い長老様、ついでにちょっと伺いますが、あ、うっかり忘れるところでした、これはもう三年も前から調べてみるつもりで、こちらへ伺ってぜひともお尋ねしようと存じておったのでございます。しかし、ミウーソフさんに口出しをさせないようにお願いいたします。ほかでもありませんが、『殉教者伝』のどこかにこんな話があるっていうのは、全くでございましょうか――それはなんでも、ある神聖な奇跡の行者が、信仰のために迫害をこうむっておりましたが、とどのつまり首をちょん切られてしまいましたんで。ところが、その行者はひょいと起き上がるなり、自分の首を拾って『いとおしげに接吻しぬ』とあるんです。しかも長いあいだそれを手に持って歩きながら、『いとおしげに接吻しぬ』なんだそうです。全体これは本当のことでしょうか、どうでしょう神父さんがた?」
「いいや、それは嘘ですじゃ」と長老が答えた。
「どの『殉教者伝』にもそんなようなことは載っておりません。いったい何聖人のことがそんな風に書いてあるとおっしゃるのですか?」と司書の僧が尋ねた。
「それはわたくしもよく存じませんので。いや、いっこうに知りませんよ。なんでもぺてんにかけられたとかいう話ですがな。わたくしも人からのまた聞きでして。ところで、いったい誰から聞いたとおぼしめしますか。このミウーソフさんですよ。
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