に傍点]とさせるために、つけ足したのでございます。ミウーソフさん、わしが駄法螺を吹くのは、ただ少しでも愛嬌者になりたいからですよ。もっとも、ときどきは自分でもなんのためだかわからんことがありますがね。そこで、ディデロートのことですな、あの『狂える者は』ってやつですよ。あれはわたしがまだ居候をしていた若い時分に、こちらの地主たちから、二十ぺんも聞かされたものですよ。あんたの伯母御のマーウラ・フォーミニシュナからも、いつか聞いたことがありますぜ。あの連中は、無神論者のディデロートが神様の議論をしに、プラトン大司教のところへ行ったことを、いまだに信じておるのですよ……」
 ミウーソフは立ち上がった。それは我慢しきれなくなったためばかりでなく、前後を忘れてしまったからである。彼は狂暴な怒りにかられていたが、そのために自分自身が滑稽に見えることも自覚していた。実際僧房の中には、何かしらほとんどあり得べからざることが起こっていたのである。この僧房へは、先代、先々代の長老の時分から、もう四、五十年ものあいだ、毎日来訪者が集まって来たが、しかしそれはすべて深い敬虔《けいけん》の念をいだいて来るものばかりであった。この僧房へ通される人はたいてい誰でも、非常な恩恵を施されたような心持で、ここへはいって来るのであった。多くの者はいったんひざまずくと、初めから終わりまで、その膝《ひざ》を上げることができなかった。単なる好奇心か、またはその他の動機によってたずねて来る『上流の』人たちや、最も博学多才な人々のみならず、過激な思想をいだいた人たちですら、他の者と同席か、または差し向かいの対面を許されて、この僧房の中へはいって来ると、すべて一人残らず、会見の初めから終わりまで深い尊敬を示し、細心の注意を払うのを、第一の義務と心得るのであった。そのうえ、ここでは金銭というものは少しも問題にならず、一方からは愛と慈悲、他方からは懺悔《ざんげ》と渇望――自己の心霊上の困難な問題、もしくは自己の心内の生活の困難な瞬間を解決しようという渇望が存在するばかりであった。それゆえ、今フョードル・パーヴロヴィッチが場所柄もわきまえずにさらけ出した、こうしたふざけた態度は、同席の人々、少なくともその中のある者に、疑惑と驚愕《きょうがく》の念をよび起こした。それでも二人の僧は少しも表情を変えず、まじめな心構えで、長老が
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