から来る。病人を連れて来る。世評に依れば、その病人が皆セルギウスの祈祷で直ると云ふことになつた。
病人の直つた最初の事蹟はセルギウスが山籠をしてから八年目にあつたのである。一人の女が十四歳になる息子を連れて来て、セルギウスに、どうぞ息子の頭に手を載せて貰ひたいと頼んだ。セルギウスは自分が病人を直さうのなんのと思つてはゐなかつた。若しそこに気が付いたら、セルギウスはそんな考を罪の深い事と思ひ、又神を涜《けが》すことゝ思つたゞらう。併し息子を連れて来た母は歎願することを已めない。セルギウスの前に伏して、外の人を直して遣りながら、なぜ自分の息子だけを直してくれぬかと責め、クリストの名に掛けて頼むと云つた。人の病気を直すと云ふ事は、それは神でなくては出来ないと、セルギウスは云つた。いや、只子供の頭に手を載せて祈祷をして貰へば好いのだと女は繰り返した。セルギウスはそれを謝絶して、庵室に這入つた。翌朝水を汲みに庵室から出て見ると、きのふの女がゐる。十四歳の色の蒼い息子を連れて同じ願を繰り返すのである。其頃は秋で、夜は寒い。それに親子はまだゐたのである。其時セルギウスは不正な裁判者の譬を思ひ出した。最初は此女の願を拒むのが正当だと確信してゐたのに、此時になつて、その拒絶したのが果して正当であつたかと云ふ疑惑を生じた。そこで間違のない処置をする積で、跪《ひざまづ》いて祈祷した。その祈祷の間に心中で解決が熟して来た。その解決はかうである。これは女の願を聴き入れて遣るが好い。若し息子の病気が直つたら、それは母の信仰の力で直るのである。此場合には、自分は只神に選まれた、無意味な道具に過ぎぬのである。
セルギウスは庵室の外に出て女に逢つた。それから息子の頭に手を載せて祈祷し始めた。
祈祷が済んでから母は息子を連れて帰つて行つた。帰つてから一月立つと、息子の病気は直つてしまつた。
山籠の信者が不思議の力で病気を直したと云ふ評判がその近所で高くなつた。それから少くも一週間に一度位病人が尋ねて来たり、又は人に連れられて来たりする。既に一人に祈祷をして遣つたので、今更跡から来る人を拒む事は出来ない。そこで病人の頭に手を載せて直るものが多人数である。セルギウスの評判は次第に高くなるばかりである。
セルギウスは僧院にゐたことが七年で、山籠をしてからが十三年になつた。その容貌も次第に隠遁者らし
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