、けい》であつたかの如く思はせるのである。ステパンは不随意に陛下の或るおもひものゝ成行を考へ出す。その女は後に人の女房になつて家庭を作つてから、妻としても母としても立派なものであつた。その夫は顕要の地位にをつて人に尊敬せられ、そして前の過を悔いる為めに珍らしい善人になつた女房を持つてゐたのである。
 時としてはステパンの心が冷静になつて、そんな妄想《まうざう》が跡を絶つてしまふ。そんな時に前に言つたやうな妄想を思ひ出して見ると、自分がそれに負けずに、誘惑に打ち勝つたのが嬉しくなる。
 それかと思ふと、ステパンが為めには又悪い日が来ることがある。その時ステパンは今の身の上で生涯の目的にしてゐる信仰を忘れはしないが、どうも今日《こんにち》僧院でしてゐる事が興味のないものになつてしまふ。そんな時には自分の信仰の内容を現前《げんぜん》せしめようとしてもそれが出来ない。その代りに悲しい記憶が呼び出されて来る。そして自分の遁世したのを後悔するやうになつて来る。
 そんな時にはステパンは服従と労作と祈祷との三つを唯一の活路とするより外はない。そんな時の祈祷には額を土に付けるやうにして、又常よりも長い間文句を唱へてゐる。その癖只口で唱へるだけで、霊は余所《よそ》に逸《そ》れてゐる。そんな時が一日か二日かあつて、そのうち自然に過ぎ去つてしまふ。その一日か二日がステパンが為めには恐ろしくてならない。なぜと云ふに自分の意志の下にも立たず、神の威力の下にも立つてゐず、何物とも知れぬ不思議な威力が自分を支配してゐるらしく思はれるからである。さてさう云ふ日にはどうしようかと、自分で考へて見たり、又長老に意見を問うて見たりしたが、詰り長老の指図に従つて専ら自分で自分を制して、別に何事をも行はず、時の過ぎ去るのを待つてゐるより外ない。そんな時にはステパンは自分の意志に従つて生活せずに、長老の意思に従つて生活するやうに思つてゐる。そしてそこに慰安を得てゐるのである。
 先づこんな工合で、ステパンは最初に身を投じた僧院に七年間ゐた。その間で、第三年の末に院僧の列に加へられて、セルギウスと云ふ法号を貰つた。此時の儀式がセルギウスの為めには、内生活の上の重大な出来事として感ぜられた。それまでにもセルギウスは聖餐を戴く度に慰安を得て心が清くなる様に思つたが、今院僧になつて自分で神に仕へる事になつて見ると、贄
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