Tはならぬ。是非幼年学校に入れてくれと云つて置いた。そこでステパンの母は息子を屋敷から出すのを惜しくは思ひながら、夫の遺言を反古にすることが出来ぬので、已むことを得ず遺言通にした。
さてステパンが幼年学校に這入ると同時に、未亡人《びばうじん》は娘ワルワラを連れてペエテルブルクに引越して来た。それは息子のゐる学校の近所に住つてゐて、休日には息子に来て貰はうと思つたからである。
ステパンは幼年学校時代に優等生であつた。それに非常な名誉心を持つてゐた。どの学科も善く出来たが、中にも数学は好きで上手であつた。又前線勤務や乗馬の点数も優等であつた。目立つ程背が高いのに、存外軽捷で、風采が好かつた。品行の上からも、模範的生徒にせられなくてはならぬものであつた。然るに一つの欠点がある。それは激怒を発する癖のある事である。ステパンは酒を飲まない。女に関係しない。それに※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》を衝くと云ふ事がない。只此青年の立派な性格に瑕《きず》を付けるのは例の激怒だけである。それが発した時は自分で抑制することがまるで出来なくなつて、猛獣のやうな振舞をする。或時かう云ふ事があつた。ステパンは鉱物の標本を集めて持つてゐた。それを一人の同窓生が見て揶揄《からか》つた。するとステパンが怒つて、今少しでその同窓生を窓から外へ投げ出す所であつた。又今一つかう云ふ事があつた。ステパンの言つた事を、或る士官がに※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]だと云つて、平気でしらを切つた事がある。その時ステパンはその士官に飛び付いて乱暴をした。人の噂では士官の面部を打擲《ちやうちやく》したと云ふことである。兎に角普通なら、この時ステパンは貶黜《べんちつ》せられて兵卒になる所であつた。それを校長が尽力して公にしないで、却てその士官を学校から出してしまつた。
ステパンは十八歳で士官になつた。そして貴族ばかりから成り立つてゐる近衛聯隊の隊附にせられた。ニコラウス帝はステパンが幼年学校にゐた時から知つてゐて、聯隊に這入つてからも特別に目を掛けて使つてゐた。それで世間ではいづれ侍従武官にせられるものだと予想してゐたのである。
ステパンも侍従武官になることを熱心に希望してゐた。それは一身の名誉を謀《はか》るばかりではない。幼年学校時代からニコラウス帝を尊信してゐたか
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