髪の長かったことは、大体その人が立って、なお髪の末が四、五寸くらい畳を這うのを普通としていたのである。
 宇治大納言物語に、上東門院のお髪のながさ御身丈より二尺なおあまれりとあるが、そのお方の御身長の程は知られないが、お立ちになって髪が二尺も余ったというからには、よほどの長いお髪であったろうと拝察する。
 安珍清姫で有名な道成寺の縁起にも、一羽の雀が一丈もあろう一筋の髪の毛をくわえてくる話があったように記憶しているが――とにかく、往古の女の髪は、いろいろの文献を話半分に考えてみても、大体において長かったことは事実らしい。

 往古は(今でもそうであるが)女の子の前髪がのびて垂れてくると、額のところで剪ってそろえた。
 そのことをめざし[#「めざし」に傍点]と呼んだが、どういうわけで乾し魚のような名前をつけたのか……ある研究家によると、垂れ下った髪が目を刺すから、そこから生まれたのであろう――と、一応もっともな考えである。
 このめざし[#「めざし」に傍点]時代は十歳ころまでで、それ以上の年になると漸次のびた髪をうしろへ投げかけて剪り揃えて置く。
 それがもっと伸びると振分髪にするのであるが、前のほうと背後のほうへ垂らして置く法で、髪が乱れないように、両方の耳のあたりを布でむすんで垂れて置くのである。
 この振分髪がもっと伸びると、背の上部で布か麻でむすんで垂れ髪にするのである。この髪のたばねかたにもいろいろあるにはあったが、普通はひととこだけ束ねむすんでうしろへ垂れた。
 また二筋に分けて前とかうしろへ垂れるのもあった。これを二筋垂髪と呼んだ。
 この長い髪は、夜寝るときには枕もとにたばねて寝たのであるが、ひんやりとしたみどりの黒髪の枕が、首筋にふれる気持ちは悪くはなかったであろうと思う。

 近来は女性の髷もいちじるしい変化をみせて来て、むかしのように髷の形で、あの人は夫人であるか令嬢であるかの見別けがつかなくなった。
 いまの女性は、つとめてそういったことをきらって、殊更に花嫁時に花嫁らしい髪をよそおうのを逃げているようである。
 夫人かとみれば令嬢のごときところもあり、令嬢かとみれば夫人らしきところもあり……というのが、今の花嫁である。
 そのむかし源平合戦の折り加賀の篠原で、手塚太郎が実盛を評して、侍大将と見れば雑兵のごときところあり、雑兵かとみれば錦のひた
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