幼き頃の想い出
上村松園

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)蹲《うずくま》って

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]
−−

     古ぼけた美

 東京と違って、京都は展覧会を観る機会も数も少のうございますが、私は書画や骨董の売立のようなものでも、出来るだけ見逃さないようにして、そうした不足を満たすように心掛けて居ます。そうして、そのような売立なぞを観に参りまして、特に興味を惹かれますのは、評判の呼び物は勿論でございますが、それよりも片隅に放擲されて、参観者の注視から逸して淋しく蹲《うずくま》って居る故も解らぬ品物でございます。そこに私はゆくりなく慎ましい美を発見するのでございます。たとえばその昔女郎の足に絡《まと》わって居た下駄だとか、或いは高家の隠居が愛用して居た莨入《たばこいれ》だとか、そういったトリヴィアルなものに、特殊な床しい美が発見されるのです。そこにも又尊い芸術の光、古典の命が潜んで居ます。適切に申せばそれらは「古ぼけた美」とでもいうべきでございましょう。

     菊安のことども

 そうしたことにつけても思い出されるのは、私の幼い日のことどもでございます。私がまだ尋常三年生かそこらの頃、私達一家は四条の河原町の近くに住居を持って居りましたが、その河原町の四条下った東側に菊安という古本屋がございました。明治二十年過ぎのことでございますから、その菊安の店に並べられて居る古本類には徳川時代の版刻物、絵本や読本の類が数多く占めて居ました。
 そうした版刻物の中には、曲亭馬琴の小説類が殊に多うございました。たとえば水滸伝だとか、八犬伝だとか、弓張月だとか、美少年録だとか、馬琴のものならほとんど総べて揃って居たように記憶します。そうしてその※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵には殊に葛飾北斎のものが多く、その他当時の浮世絵師の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵が豊かに※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《はさ》まれて居ました。
 私の母は非
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング