と独創に閃く作品は見ることは出来ません。文展に第二回第三回と美人画が出れば、その後の婦人の絵かきは誰れも彼れも美人画でなければ夜も日も明けないように思っているのであります。皆が皆女は美人画が好きだということはありません。それぞれの有《も》ち前の個性から花鳥とか山水とかを描くべきであります。
 私もよく美人画を描きますが、元来美人画が好きでありまして、ただもうこう出て来なければならないという道を選んだわけであります。私は今の美術学校の前身である画学校で絵を習いましたが、その時分の先生が鈴木松年さんで、なかなか筆の固い人で、虎とか羅漢《らかん》とか松とかと、そんなものばかり描いておられました。私は初めから美人画が好きでありましたが、こういう先生のもとにいたものでありますから、てんで美人画の手本などというようなものはありませんでした。絵を習う順序としては梅の枝とか鳥とかを卒《お》えてでないと人物は習えないものとしてあったのであります。私はこんな順序に拘泥せずしかも手本もなしに美人画を腕に摂《つ》め込むまでには、じかに写生などをして種々に苦心しました。
 私は自分は絵を描くために生まれて来たの
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