っぱり見当もつかない怪しげなものが沢山におります。銘々の婦人に幾何《いくばく》の共通な方向があって、制作を規定したり、撰択したりするのかは知りませんが、こうも現代の女流画家のように誰も彼も同じような美人画が出来ようとは思われません。それが本当に自己の内奥に潜む力の発現として作家を容型しているものならばたとえ似交《にかよ》った多くの美人画の中にも厳然と相|容《い》れざる特異な相が現われていなければなりません。いったい現代では「女絵かき」が一種の流行になっているのではないかと思われます。みんなで成り上ってしまって、自分勝手に躍り狂っているのでありますから、自ら開拓して芸術の殿堂を建立しようなんてことはとても覚《おぼ》つかないことであります。
 我が国では昔から女が絵を習うということは極く稀なことでありましたが、近頃は頓《とみ》にその数を増しております。私は思いますに、これは新聞や雑誌が無頓着にも誰れ彼れとなしに持ち上げて、その貧しい作品を載せたり写真を掲げたりするものでありますから、地方の若い人々の心がそそり立っているのであります。現代の若い作家がそんな浮いた心で絵かきになったものか、とん
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